新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた!三鷹市の龍源寺にある【t】

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
新撰組はご存知だろうか?詳しくは知らなくても名前くらいは聞いたことがあるだろう。

江戸幕府の主力として、明治維新の頃に活躍した武士の集団だ。
その新撰組の局長を務めたのが近藤勇だ。

その近藤勇の墓は三鷹市の龍源寺というお寺にあるのだ。

新撰組を束ねた大剣豪、近藤勇

江戸末期は動乱の時代だ。
倒幕を掲げた長州や薩摩、そして幕府側に日本が二分していた時代だ。

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
そんな時代に幕府を守り、京都の治安を維持するために結成されたのが壬生浪士組だ。
それが後に新撰組となる。

その新撰組には沖田総司、土方歳三、斎藤一、永倉新八など多くの猛者がいたが、それを束ね局長になったのが近藤勇だ。

戊辰戦争などにも幕府側の主力として参加した。しかし1868年に新政府軍に捕らえられ、処刑され35歳でその生涯を終えた。

そんな近藤勇のお墓と生家跡を行って見た。

近藤勇の生家跡

新撰組は好きで、漫画をなどもいくつか読んでいた。
東京の多摩の辺りに新撰組の元となった試衛館があり、近藤勇や土方歳三がそのあたりの出身であることは知っていた。

実はこの生家跡とお墓を見つけたのは偶然だ。
野川公園を散歩していた時に発見した。

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
それがこちらの生家跡だ。

近藤は現在の調布市野川付近の百姓、宮川家生まれた。
幼名は勝太であった。

実は生まれは百姓をやっていた農家なのだ。

その後天然理心流剣道場、試衛館に入門した。
その腕を求められ、近藤家の養子となり天然理心流の4代目となった。

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
生家は中の上の農家だったと言われている。
なのでそこそこの広さがあったようだが、今は屋敷の東南部にあった井戸を残すのみとなっている。

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その隣には小さな近藤神社が今はある。
そしてお墓この場所から徒歩2〜3分の龍源寺というお寺にある。


龍源寺にある近藤勇のお墓

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
お墓があるのは三鷹市の龍源寺というお寺だ。生まれの宮川家も龍源寺の檀家であったという。

処刑後、甥の天然理心流5代目の近藤勇五郎が遺体を引き取りこの場所に埋葬した。

ちなみにこのあたりは三鷹市、府中市、調布市、小金井市などの境が入り混じる場所だ。
少し歩けばすぐに市が変わる。

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
そして龍源寺に行くと、入り口には近藤の像がある。。

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
そしてお寺の裏にお墓がある。


三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】

三鷹市の龍源寺にある新撰組局長、近藤勇のお墓を訪ねた【t】
こちらだ。
近藤勇を含む、近藤家の墓だ。今も千羽鶴があるのが見える。

新撰組は多くの小説、映画、漫画などの題材になりファンも多い。
そしてこの辺りの人には今でも伝説なのだろう。


動乱の時代に散っていった武士たちに思いを馳せよう…

ミライノシテンおすすめ新撰組マンガ!!


今の日本があるのも、今の僕らがいるのも。この時代を生きた人々がいるからだ。

動乱の時代に行きた武士は今の時代をどう思うのだろうか?
そんなことを思いながらお墓を後にした。
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