山口県の宇部市はかつて炭鉱で栄えた町だ。
そのことは知っていたが、詳しく歴史を知っている訳ではない。
石炭記念館はときわ公園の中にあるが、炭鉱の名残を感じる場所は街中にはない。
今日はそんなかつての炭鉱の名残を感じる遺構があると言うので訪ねた。
海の中の石炭を掘っていたのだ。
そしてこの宇部も炭鉱で栄え、その炭鉱は海の中にあった。
江戸時から炭鉱が行われていた宇部であったが、明治以降に本格的に採掘が始まった。
その後、資本が流入し、いくつかの炭鉱が生まれた。
そのうちの一つが長生炭鉱だ。1914年に開坑され、最盛期に800人が働いていた。
そんな長生炭鉱の遺構があると言う。
宇部空港からも近い黒崎の沖にこのような2本の黒い筒が海から突き出ている。
これが炭鉱の名残なのだ。
長生炭鉱は海の下にあった。その海の下の炭鉱の通気口、排水口として機能していたピーヤーと言われる構造物だ。
宇部の歴史を伝えるものとしても重要なものであるが、このビーヤーには悲しい歴史もあるのだ。
そしてこの長生炭鉱も1942年に海水の流入事故が起き、183人が死亡した。
この事故を期に閉山。犠牲者のほとんどが朝鮮からの労働者だと言われている。
その犠牲者たちの遺体は引き上げが困難で今でも海の中に眠っているのだ。
そんな悲しく、少し怖い歴史もこのビーヤーは伝えているのだ。
近くに廃墟を発見。
このあたりに炭鉱の住宅があったようだがその名残のなのだろうか?
そしてこビーヤーが見える浜から宇部空港の方に少し歩くと、岩が露出している場所がある。
その岩をよく見ると異様に黒い。
実はこれは石炭の層なのだ。
こんな場所にも石炭の町の名残が見れるのだ。
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かつて宇部を支えた炭鉱は今は他の産業と合併などを繰り返し、宇部興産となりその名残を残す。そのことは知っていたが、詳しく歴史を知っている訳ではない。
石炭記念館はときわ公園の中にあるが、炭鉱の名残を感じる場所は街中にはない。
今日はそんなかつての炭鉱の名残を感じる遺構があると言うので訪ねた。
炭鉱で栄えた宇部に残る遺構
廃墟の聖地として有名な軍艦島に今年のはじめに行ったが、軍艦島もかつては炭鉱で栄えた島だ。海の中の石炭を掘っていたのだ。
そしてこの宇部も炭鉱で栄え、その炭鉱は海の中にあった。
江戸時から炭鉱が行われていた宇部であったが、明治以降に本格的に採掘が始まった。
その後、資本が流入し、いくつかの炭鉱が生まれた。
そのうちの一つが長生炭鉱だ。1914年に開坑され、最盛期に800人が働いていた。
そんな長生炭鉱の遺構があると言う。
海に今も残る炭鉱の通気口、ピーヤー
それがこちらだ。宇部空港からも近い黒崎の沖にこのような2本の黒い筒が海から突き出ている。
長生炭鉱は海の下にあった。その海の下の炭鉱の通気口、排水口として機能していたピーヤーと言われる構造物だ。
宇部の歴史を伝えるものとしても重要なものであるが、このビーヤーには悲しい歴史もあるのだ。
183人が犠牲になった海水流入事故
宇部の石炭は地表にあまりなく、海の中が主であった。しかし海の浅い部分であったため、度々海水の流入事故がおき多くの死者が出ていた。そしてこの長生炭鉱も1942年に海水の流入事故が起き、183人が死亡した。
この事故を期に閉山。犠牲者のほとんどが朝鮮からの労働者だと言われている。
その犠牲者たちの遺体は引き上げが困難で今でも海の中に眠っているのだ。
そんな悲しく、少し怖い歴史もこのビーヤーは伝えているのだ。
意外と街の歴史は知らない?
このあたりに炭鉱への入口があったそうだが、今では草に覆われている。近くに廃墟を発見。
このあたりに炭鉱の住宅があったようだがその名残のなのだろうか?
そしてこビーヤーが見える浜から宇部空港の方に少し歩くと、岩が露出している場所がある。
その岩をよく見ると異様に黒い。
実はこれは石炭の層なのだ。
こんな場所にも石炭の町の名残が見れるのだ。
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自分たちの街の歴史は意外と知らないものだ。そこには光もあれば影もある・・
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