東京オリンピックのボランティは必要か?助けを必要としている人はだれ?【t】

コンビニのバイトをボランティでやる人はいないだろう。しかしオリンピックのスタッフはボランティアでやるのか?

東京オリンピックが2020年に開かれる。そこには多くの人が必要だ。
JOCはそれはボランティアを募集し、人手を集めようとしている。

しかしそこに異論や批判も多くの起こっているのだ。

東京オリンピックのボランティアは必要か?

東京オリンピック・パラリンピック競技組織委員会は「大会ボランティア募集要項案」を先日発表した。

それによると会場の運営や案内、移動サポート、さらにドーピングの検査のサポートまで、合計8万人のもボランティアを募集しているという。

その他募集条件(案)には
・大会期間期間中及び、大会期間前後を通じて、合計10日以上活動できるかた。
・オリンピックやパラリンピック競技に関する基本的な知識がある方
・交通費、宿泊費は自己負担
など書かれている。



ボランティであれば普通である。
しかしこの募集にお金はあるのにボランティには負担が大きすぎるのでは?など
異論や批判が巻き起こっている。




労働とボランティアの違いは?
そして東京オリンピックのボランティは本当に必要なのか考えよう。

ボランティは募集はOKだけど、ただで働いてくれる人募集はNG?

「ボランティ募集します!無償です」はOKなのに
「ただで働いてください!お金は出ません!」はNG

この違いはどこにあるのか?

調べるとボランティに関する特別の法律はないようだ。
つまり

「これはボランティアです!お金は出ません!」

と宣言し、その人が了承すればボランティアになるのだ。ボランティアをした後にお金が払われないと抗議しても意味がないのだ。
※保険などはある。

しかしこれを
「アルバイト募集します!お金は出ません!と言うとこれは労働法などの法律にひかかって違法になるのだ。



さらに厳密に言うと、
労働者であるか?労働者でないか?かが重要なのだという。
法律上ボランティをする人は労働者にはなあたらいなのだ。


しかしボランティアとうたっていても明らかに労働じゃないか!
となる場合もあるはずだ。

労働者かどうかの判断木基準は下記の基準に当てはめ、個別に判断すると言う。

労働者かどうかをどのように判断するのかについては、1985年労働省労働基準法研究会報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」では、次のような点が判断要素であるとされています。

これらにあてはめるなどして個別に判断することとなります。 (主要な判断要素)
● 仕事の依頼への諾否の自由
● 業務遂行上の指揮監督
● 時間的・場所的拘束性
● 代替性
● 報酬の算定・支払方法 (補足的判断要素)
● 機械・器具の負担、報酬の額等に現れた事業者性
● 専属性等
http://www.npolawnet.com/faqroumu.html
これにあてはめると東京オリンピックのボランティはどうであろうか?

しかし結局のところ
「これはボランティア!」と宣言してしまえばお金を払う必要がなくなる、曖昧なものであるであるだろう。

わが組織もただ働きボランティア募集したい…

お金は豊富にある?

財政難と言うがそれは本当だろうか?


こちらの情報によればJOCは現在だけで42社のスポンサーから4,000億円のお金を集めているのだ。

このお金はどこに行くか?電通や博報堂などの広告代理店、
そしてJOCの一部のおじさんのところだ。


仮にボランティアに必要なお金を、拘束時間8時間、時給1000円で計算すると
日給8000円で×10日間×8万人が働く=64億円

64億円??4000億円もあるのにボランティアの64億円も払えないのか??
となってしまう。

このお金はどこにいくのだろうか?



ボランティアとは何か?困っている人はだれ?

この問題に関しては一体ボランティアとは何であるのか?
を考えさせらえる。

ボランティアとはそこに困っている人がいるか、助けを必要としている人がいるか?
ではないだろうか?


震災や災害などであれば今の目の前に困っている人がいる。
今すぐに助けが必要な人がいるのだ。

そんな状況があればお金を払ってでもボランティアをする必要、価値がある。



しかしオリンピックのボランティアで困っている人は誰のか?
そこが見えて来ないのではないだろうか?

お金も時間も十分にある。
おじさんたちが儲ける為にボランティが必要なのでは?という構造が見えてしまうのだ。

困っている人、助けを求めている人がないのに
ボランティをする意味はどこのあるのだろうか?
スポンサーリンク

スポンサーリンク