努力をする生き物は人間だけ、努力をしない生き物になる【th】

ずっと思っていたことだが努力をする生き物は人間だけなのでは?

他の生き物は努力など全くしていない。人間も努力をやめるべきなのである。
しかしここで間違って欲しくないのは怠けることでもなく、何もなしないということではない。

他の誰かになる努力をやめようと言うことだ。

生き物は努力をしない

努力をする生き物は人間だけ、努力をしない生き物になる【tho】
人間だけなのだ、他のが誰かに憧れたり、目指したりすのるのは
動物を見て欲しい。猫も犬も鳥も他の動物になろうとはしてないのだ。

ナマケモノはそのなの通り、動きが非常にノロい。
しかしライオンのように強くなろうとか、鷹のように素早くなろと努力しないのだ。

ただ全力でナマケモノであるだけなのだ。

しかし人間の世界は「犬になろうと努力する猫」ばかりだ。
その猫は犬のようになろうと、頑張ってワン鳴こうとしている。しかし猫はどんなに頑張ってもワンとなくことができない、そこで猫は悩んしまうのだ。

なんで僕はワンと鳴けないのだろう?もっと努力しなきゃ…

こんな人間をよく見たことがないあるはずだ。自分自身かもしれない。

猫は猫でのままで綺麗に鳴けるのに… 人間はこのように他の何者かになろうと努力をして、そしてなれずに悩むのだ。

しかし生き物は努力しない、ただ全力で猫であるだけなのだ



そのままであるこを許してくれない社会 

詩人金子みすずのの詩に「私と小鳥と鈴」という詩がある。 
みんな違ってみんないいと個性の大切を歌った詩として親しまれている。

 私が両手をひろげても、   
お空はちっとも飛べないが、   
飛べる小鳥は私のように、   
地面を速く走れない。 
   
私が体をゆすっても、   
きれいな音はでないけど、   
あの鳴る鈴は私のように、   
たくさんな唄は知らないよ。
   
鈴と、小鳥と、それから私、   
みんなちがって、みんないい。

しかしこの詩にはそのままを許さない社会があるようにも感じる。

社会に出ると、
鳥のように飛ぶことも、鈴のように綺麗な音を出すことも、求められるのだ。

そんな苦しみや悲しみを唄った詩でもあるのだ。
みすゞは100年以上も前の人物だ。やはり今以上にはみ出すことをゆるさない、同じを求められる村の空気がああったのだろう。

そして今の社会も変わっていない、理想の一つの像が求められる。
猫に犬になることを求める。

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そんな社会が今変わりつつあることも事実だ。自分を自分のままにしてくれる空気が生まれつつあるのでは?と感じる。

まずはもう、犬になる努力をやめよう!。
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