近年はブラジルも経済的に発展してきたが、それでも日本から見ればまだブラジルは経済的には後進国という印象が強いだろう。
しかしそんなブラジルにまるでUFOが着陸したかのような、近未来な建物があるのをご存知だろうか?
しかしそんなブラジルにまるでUFOが着陸したかのような、近未来な建物があるのをご存知だろうか?
「自由な曲線」建築家オスカー・ニーマイヤー
オスカー・ニーマイヤー(1907年〜2012年)ブラジル、リオデジャネイロ生まれの建築家だ。「人が作ったまっすぐなものには惹かれない。自由に流れる、官能的な曲線にこそ私は惹かれる。故郷の山や川、海の波、そして愛する女性の身体の曲線に」
と語ったように「自由な曲線」をテーマにかかげ建築を作った人物だ。
まるで未来からやってきたような不思議さがあり過去の建築であることを疑いたくなるのだ。
リオデジャネイロに生まれた、ドイツ系のブラジル人だ。
「自分にはインディオか黒人の血も混ざっているかもしれない。でもそれは私にとっては誇りである」とも語っている。
リオデジャネイロ国立芸術大学建築学部を卒業後、ルシオ・コスタとカルロス・レアンの設計事務所に勤務した。
第二次世界大戦後の1952年にはル・コルビュジエと共にアメリカ・ニューヨークの国際連合本部ビルをデザインした。1960年にはラジルの首都のブラジリアの建物の設計などをした。
しかし1964年にブラジルで軍事クーデターが起こり独裁政権となった。軍事政権は左翼思想の追放と取り締まりを行った。共産主義の思想を持っていたオスカーは、ブラジルでの設計活動を禁止され、1967年にフランスのパリに亡命した。
独裁は悪いことだが、これによりブラジルは共産主義になることはなかった。共産主義と独裁はセットのようなイメーイがあるが、必ずしもそうではないようだ。
その後20年間ほどはフランスやイタリア、アルジェリアなど中心に活動した。
1985年に独裁政権が終わると、リオ・デ・ジャネイロに戻り、そこに暮らしながら設計活動を行った。
また多くの賞も受賞している。 1988年には建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞の受賞。2004年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。
そして104歳で亡くなる直前まで多くの建築設計を手掛けた。
ブラジリアの都市計画 近代建築で初の世界遺産
ブラジルの首都はどこでしょうか?リオデジャネイロではなくブラジリアだ。マイナーかもしれない。
ブラジリアは首都にするために計画してつくられた特殊な都市だ。都市全体のスタープランを作成したのがブラジル人建築家のルシオ・コスタ。
そして主要な建築を設計したのがオスカー・ニーマイヤーだ。
当時まだ未開の地であった1,100mの高原地帯に作られた。何もない場所であったからこそ、一から計画することができたのだ。
1960年までにわずか5年で完成し、それまで何もなかったブラジルの内地の高原に近未来的なモダニズム建築が出現したのだった。
その後1987年には世界遺産に登録された。まさに異例の速さの世界遺産登録であったが、特殊な経緯とオスカーの独特な建築が20世紀の重要な建築として認められたのだ。
そのブラジリアにある建築をいくつか紹介しよう。
国会議事堂
シンプルなお皿?と見間違えるような不思議な建築だ。これがなんとブラジルの国家議事堂なのだ。
実はこの特徴的な半球は飾りである。左側の半球のドーム状の下には上院の議事堂が、右のお盆のような下には下院の議事堂がある。
人々の意見を良く聞いて受け止めるようにという意図が込められている。
中央の2つのビルには国会事務局と議員会館が入っている。
連邦最高裁判所
裁判所もおしゃれにデザインしている。国会議事堂と比べ柔らかさわ少なくなっているがかっこい建築だ。水平な屋根が裁判の公平さをオメージしているようだ。
メトロポリタン大聖堂
王冠のような形をしているが、実はこれは教会であるのだ。周りの16本の支柱は天に向かって祈る手を表現している。内部はステンドガラスでつくられており、空も見える気持ちの良い空間だ。今までの教会にはない軽さと透明感がある。
そのほかブラジル大統領官邸、ブラジル国立美術館など多くを設計している 。
その他の代表的な建築を紹介しよう。
国際連合本部ビル 1952
ニューヨークにある国際連合本部ビル。このビルは各国から一流の建築家を集めて共同してくられたのだ。その一人としてオスカーも参加した。
協力するということが大事だったのだろう。しかしオスカーの色はあまり感じられない。
ニテロイ現代美術館 1996年
リオ・デ・ジャネイロ市のニテロイと言う場所にある美術館だ。リオ・デ・ジャネイロ市街とは海を挟んで対岸だ。
その場所の美しい海が広がるグアナバラ湾を見下ろす崖に建っている。
まるでUFOが着陸しているように見えるのだ。オスカー自身は花をイメージして設計したと言っているが…
しかしほとんどの人がUFOのようだと思うようで、ニテロイ市民からはDisco Voador(空飛ぶ円盤の意味)と呼ばれている。
内部には360度のパノラマが見渡せる展示室もある。
20世紀のモダンアートを中心に展示がされている。
オスカー・ニーマイヤー美術館 2003
これもまた不思議なデザインだ、実はこれはオスカーの設計ではないのだ。オスカーの功績を讃えるために作られたのだ。
この奇妙な形は目をイメージして作られており、”Museu do Olho(目の美術館)”という意味をもつ。
影響を与え続けるオスカーの建築
今でこそ技術の発展で、ザハに代表されるような有機的な建築は増えたが当時はかなり画期的であっただろう。オスカーの建築は多くの建築に影響を当たえたのだ。
日本人建築家で影響をされたと語る建築家がいる。それがSANAAである。
SANAAの建築も曲線を良く使うことが知られている。
SANAAの曲線にはオスカーの大胆さに加え、日本人的な繊細さがあるように感じる。
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まとめ
今見ても新しさがあるオスカーの建築だ。それは自分自身の思想や考えがそこにあり、建築でそれを表現したからだろう。時に建築は作家性を出しすぎることが悪いことのように言われる。しかしこの建築にはオスカーの思いや思想が込められ、ブラジルの国と人々を豊かにしたことは間違いないだろう。
思いや思想を自信をもって建築で表現した結果であると感じる。
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