ピダハン族の言語と思考。今、この瞬間にしか生きていな民族【c】

「悩みがなくみんな幸せ」 

そんな民族がアマゾンの奥地にいると言う。 

彼れらは神を信じない、にも関わらず悩みがなく幸せなのだ。それは彼らの使う言語ga
関係しているのだと言う。


そんなピダハン族の思考と言語の関係とは?

ピダハン族とは?独自の言語と思想

ピダハン族とはアマゾン川支流の一つであるマイシ川沿いの4つの村に住んでいる少数民族だ。

外の世界との接触を拒み、300年前に金を求めてきたポルトガル人と接触したという記録があるのみだ。 

だが1950年にはしかが流行し伝道師を受け入れることになった。日本ではNHKが「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」として番組で取り上げられ注目されることになった。

ピダハン族は独自の言語であるピダハン語を操る。そしてそこからあ生まれる思考とは?

ピダハン語とは? 

ピダハン語には言語学上の論争を呼ぶような要素が様々含まれていることが判明している。
以下特徴を上げる。

・左右の概念がない。
・明暗以外に色を区別する言葉がない。
・過去や未来を表す言葉がない。
・男や女という性差を表す言語がない。
・兄弟姉妹より離れた親族を表す語がない
・口笛や鼻歌にもできる
・交換的言語使用がない。「こんにちは」「さよなら」「ご機嫌いかが」などの人間関係を維持するための言葉がない。
・別の文や句のなかに現れる入れ子構造は「再帰」と呼ばれ、言語に無限の創造性を与える基本的な道具であると考えられてきた。これがピダハン語には見られない
・個人中心ではない見方、周りの空間、環境を中心とした世界の見方。


私たちの普通の言語であれば当然である区別がないのだ。
人間は進歩と同時に区別をしてきた。

しかしピダハン語にはない。それは劣っていると言うことか?



ピダハン族の思考 

人間お思考はその使う言語によっても変わってくるという。不思議な言語を操るピダハンの思考とは?

①今の瞬間を生きる
 言語に未来型と過去型がないということは、未来と過去を考える事ができないのだ。つまり過去を後悔することも未来を不安に思うこともできない。 

この瞬間にしか生きていなのだ。

②区別のない世界観 
他人と自分を分けてしまう事は、怒りや嫉妬、差別、悩みなどを生み出す。しかしピダハン族は「他人と自分」、「自分と世界」などの区別が曖昧なのである。 

手はつながっているので自分の手というに認識がある。それと同じように他人も、流れる川もそびえる山も自分の一部として感じているのかもしれない。


悩みや苦悩を無くし「今、この瞬間に生きる」

人間の悩みは過去の後悔、未来への不安、そして人間関係に分類されるという。

彼らには過去も未来も存在せず、他人と自分の区別が明確に存在しない。ということは人間が本来持つ苦悩が存在しないのだ。 


キリスト教の宣教師が彼らの元に訪れたが、彼らの心には響くことがなった。彼らには悩みや不安がない、だから神という救いが必要なかったのだ。 

ピダハン族の言語、思考は進歩なのか?それとも遅れている民族なのか?

生物は賢くなれば悩みも生まれるものだと思っていた。
人間は豊かになり身体的に苦労は減ったが、心の苦悩は増えているようにも感じる。

現代の日本でも多くの人が心に悩みや不安を抱えている。 

しかしそんな現代人へのヒントがこのピダハン族にはあるのかもしれない。
不安と悩みで、今この瞬間を生きるこができない。ピダハン族の思考が今の日本人には必要なのかもしれない。
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