作家、司馬遼太郎の言葉から考える。How toからWay toの時代へ【Word+Thought】


日本には「道」と概念がある。しかしそれは失われた概念であるのか?

あるとき友人たちと飲んで話していたとき、作家の司馬遼太郎さんが生前、言ってた言葉を思い出したのだ。


司馬遼太郎の言葉


「竜馬がゆく」などを数々の作品を残した歴史小説家。特に好きな時代は明治維新の頃、特に好きな民族はモンゴルの遊牧民。

「現代人はHow toしか語らなくなってしまった。しかし明治の維新の頃の偉人達はどいう行動をしたら、美しいかを考えていた」


私が感じていた違和感はコレではないかと感じた。今の人たちはHow to しか語らずWay toは語れないのである。

How to=やり方、進め方。何をどのように進めていくか?どう成功させるか?
Way to=生き方、あり方。どのように行動するか?どのような人生をいきるか?

本屋に並ぶ本はHow to本ばかりである。成功しなと人生は失敗で、意味がないのだと多くの本が語りかけてくる。


「道」という概念

このWay toの考え方は「道」という考え方に近い。昔から日本には華道、茶道、書道、武士道など「道」とう言葉、考え方がある。そこには「どうやって成功するか?」よりも、「どのように行動すれば美しいか?」という考えがあった。


維新の頃のエピソード

司馬遼太郎が衝撃を受けたという明治維新の頃のエピソードがある。

桂小五郎率いる、長州藩の志士たちが京都のある場所で会談を行っていたそうだ。
そのとき一人の10代の若者が訪ねてきた。

「わしも幕府を倒したい、仲間に入れてもらえないか?」

しかし長州藩の志士は突き返した。

「され、悪いが人では足りている!!」

その返答に対し馬鹿にされたと思った若者は

「わしの覚悟は本物だ!!」

と言って刀を取り出し、その場で切腹したというのだ。

この頃の志士たちはこのような激しさがあった、もちろん打倒幕府という目標があり、その方法(How to)も考えていたのだが、それよりも大事な「道」way toという概念があったのだろう。

意識の壁は言葉の壁を作る

この問題は言葉の壁も生むのである。…私はHow toとWay toを分けて話していても、その違いの認識がないので伝わらないのだ。

より深いWay toの話をしたいのだ。しか…し多くの人にはWay toの概念が存在しないため通じなことが多い。way toの話をしても咬み合わないである。「意味わかんないから、How toの話しろよ」という目をしている。

How toからWay toの時代へ

これから現代人はどう生きればいいのか?How toも今の社会の仕組みの中では必要であろう。しかし今後はより心の深い場所で生きる時代になるだろう。そんな時必要になるのがway toなのである。
まだ資本主義が世界を征服していない時代はそれは普通にあったのかもしれない。

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