そして山口県にも世界の有名人のお墓があるのだ。それが世界3大美女の楊貴妃のお墓である。
楊貴妃のお墓
http://www.nanavi.jp/attractions/youkihinosatoこちらがその楊貴妃のお墓の写真である。山口県の北長門市の二尊院(にそういん)という寺院にあるのだ。果たしてその真相は?
楊貴妃とは?
日本ではクレオパトラ、小野小町と並んで世界3大美女と言われているのが楊貴妃である。8世紀の中国の唐の時代の皇妃で。中国では古代中国4大美女と呼ばれている。
楊は姓で貴妃は位を表す。名は玉環と言う。
この時代は今よりもふっくらとした女性が美人とされ、楊貴妃の容姿も豊満な姿であったと言われる。また容姿だけでなく音楽・楽曲、歌舞などにも優れ物腰も柔らかったと言う。
美人エピソード
本当に美人だったのか?疑う人もいるだろう。そんな楊貴妃の美人すぎるエピソードを紹介しよう。元々は唐の9代皇帝玄宗(げんそう)の息子の嫁となるはずだったが、皇帝玄宗自身が一目惚れしてしまい、息子ではなく自分の妻にしてしまったのだ。
その時楊貴妃21歳、玄宗55歳の歳の差婚だ。
そしてこれが楊貴妃の悲劇の始まりだ。
美人すぎて波乱が起こった?
楊貴妃自身はわがままを言うような人物ではなかった。しかし、皇帝玄宗が楊貴妃を溺愛しすぎて楊貴妃の家族や親族をひいきしてしまう。楊家のものを高い官職に任命したりした。それは他のものから見ればいい気はせず、不満が溜まっていた。
アメリカ大統領のトランプも家族を役職につかせたりして、批判が起こっている。いつの時代も同じなのかもしれない。
そうして職に就いた楊貴妃の一族・楊国忠が安禄山さんという地方の役人のよくない噂を玄宗に吹き込んだ。
それに怒った安禄山が皇帝の目を冷まそうと乱を起こす。
それが「安史の乱」と言う。
国が混乱し、その原因が「楊貴妃が皇帝を惑わしたからだ!」と楊貴妃も追われる事になる。
現代でもありそうな炎上である。
そうして皇帝と共に逃亡することになった。
しかし皇帝の部下からも「こんな乱が起こったのは楊貴妃が皇帝をたぶらかしたからだ」という不満が出てきて、楊貴妃を処分して欲しいとなった。
皇帝玄宗はやむなく、自ら楊貴妃の首を締め殺してしまった。
そして756年に楊貴妃は37歳で亡くなった。
それが歴史上の記録である…
替え玉?実は逃れて日本にたどり着いた?
こちらは中国にある楊貴妃の墓 |
皇帝玄宗は楊貴妃を殺したくなかった。
皇帝の悲しんでいた姿をみた近衛隊長の陳元礼が、殺すように見せかけ部下に空櫓舟(うつろぶね)を作らせ逃していたと言うのだ。
そうして流れ着いたのが今の山口県だと言うのだ。
楊貴妃は死体が見つかっていないど、替え玉だったなど、楊貴妃は日本で死んだと言った噂話は中国では都市伝説的に語られているという。。
信じるか信じないかあなた次第だ。
山口県のどこ?
楊貴妃が流れ着いたのは山口県長門の油谷の向津具半島あたり。この地には楊貴妃が流れ着いたとう言い伝えが残る。
引用 ”日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のことじゃったげな。向津具半島の岬の西側に唐渡口(とうどぐち)ちゅう所があってな、そこへ空艫舟(うつろぶね)が流れ着いたげな。 舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。 ”
日本海の側の海岸には中国語や、ハングル文字のゴミが流れつく事がある。海流的にはここに流れついてもおかしくはないのであろうか?
二尊院
そして油谷の二尊院(にそういん)と言う寺院にお墓がある。こちらが楊貴妃のお墓と言われている五輪塔だ。またこの寺院には古文書も残っており、
唐土玄宗皇帝の愛妃楊貴妃なるもの、空艫船(うつろぶね)にて、当村唐渡口(とうどぐち)という地へ漂着。まもなく死去したまいぬれば、里人相寄、当寺院境内に埋葬。
と言う文書が残っている。
楊貴妃の里
これだけであればよかったもの1993年にそれにあやあり、二尊院の隣にちょっとイタいスポットを作ってしまった。このスポットによりB級感が増したが、面白さもましたのだ。
http://blog.goo.ne.jp/okasan1909/e/8e6c717a65a2fbc80fbc8b38180c39d9
園内に入ると楊貴妃の像が立っている。亡くなった歳と言われる38歳にあやかった3.8mの楊貴妃像が立っている。
もしここに流れついたのなら、38歳で亡くなっててはダメなのでは?
とも思うが、、
https://setouchifinder.com/ja/detail/754
園内は中国風の建物や庭園などになっいる。
http://www.nanavi.jp/attractions/nisonin
絵馬もあり、安産、子宝、縁結びにご利益があると言う。
まとめ
この地には昔から中国や韓国の人が漂流して流れ着くことがあったという。 果たして本当に楊貴妃はこの場所に流れ着き、ここで死んだのか?おすすめ商品
その真偽は不明であるが、面白スポッットして行って見るのはどうだろうか?
近くには赤い鳥居がいくつも並ぶ風景でCNNにも取り上げれた元乃隅稲荷神社もあるのでそちらもどうぞ。
向津具(ムカツク)半島は西日本一の棚田がある絶景【YAMAGUCHIKEN】
楊貴妃の里HP
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