何も描かない画家と言われ20世紀の戦前を中心に活躍したのが、マレーヴィチだ。
ピカソなどから影響を受け、抽象画の到達点と言われた。画家であるのに何も描かないと言う境地にまで到達してしまったのだ。
20世紀の前半を中心に活躍したロシア・ソ連の画家だ。ピカソなどのキュビズや未来派などから影響を受け、色彩とプリミティブな立体の要素を多用する未来派と呼ばれる作品を描いた。
その後作風は一転し、意味を徹的に排除したシュプレマティスム(絶対主義)と呼ばれる抽象画を描いた。
それは「抽象絵画の一つの到達点」とまで評価された。
特殊な環境でウクライナ語で話し、ポーランド語で書き、後にロシア語も取得し、ロシア語で活動するという語学的分裂が生まれたと言われている。
当初はピカソなどのキュビズムから影響を受け、色彩と立体を多用するクボ・フトゥリズムというジャンルの作品を描いた。
しかし1910年代の半ばから作風は一転し意味や要素を排除したシュプレマティスム(絶対主義)を提唱した。
ソ連が成立するとスターリン政権は前衛芸術を否定し、弾圧をした。マレーヴィチもその影響を受け写実的な画風の絵画に戻ってしまった。
そして
そのまま1935年にその生涯を閉じた。
幾何学や立方体、色彩を多用した作品だ。
当時としてもかなり前衛的であるが、このような作品からさらに要素をなくした作風になって行くのだ。
当時ヨーロッパでは普遍性を求めたモダニズムや、ピカソのキュビズなどが提唱されていた。
そられの到達点とも言われているのがシュプレマティスムである。
意味を徹底的に排除した抽象画だ。
「黒の正方形」はただの黒い正方形のように見える。それゆえ「何も描かない画家」とも言われるまでになった。
この作品でも画面と言う空間の中に単純な幾何学形態が散りばめられており、個々は自由に浮遊するようで全体は綺麗にまとまっている。
他にも宇宙開発や人工衛星などのメカニックなものにも興味を示していた。
彼の興味は三次元の制約を受ける地上から開放され、四次元的な世界を目指していたと言われている。
この作品ではただの黒い四角形を描いているだけであるが、マレーヴィチのシュプレマティスムに対する理念が込められている。
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「黒い正方形、あらゆる可能性の兆しである」と彼は語っている。
彼は、自らの今後の制作活動に対して精神的な自由を得る為に、あえてあらゆる可能性を内包した図を発表したのかもしれない。
芸術が弾圧されロシアのシュプレマティスムは途絶えてしまったのだ。
芸術は常に弱い立場である。自由な環境でこそ発展するのだろう。
今の日本の社会状況はどうであろうか?
政治の動きを見ていると、思想の自由を基礎にしている芸術にとっては好ましくない法律が成立している現状もある。
かつてのソ連のように政治に芸術の表現が制限されない社会であることを願おう。
ピカソなどから影響を受け、抽象画の到達点と言われた。画家であるのに何も描かないと言う境地にまで到達してしまったのだ。
カジミール・マレーヴィチとは?
カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチ(1878年2月23日 - 1935年5月15日)20世紀の前半を中心に活躍したロシア・ソ連の画家だ。ピカソなどのキュビズや未来派などから影響を受け、色彩とプリミティブな立体の要素を多用する未来派と呼ばれる作品を描いた。
その後作風は一転し、意味を徹的に排除したシュプレマティスム(絶対主義)と呼ばれる抽象画を描いた。
それは「抽象絵画の一つの到達点」とまで評価された。
生涯
生まれは当時ロシア帝国の領地であった、ウクライナのキエフ近郊だ。両親はポーランド人であった。特殊な環境でウクライナ語で話し、ポーランド語で書き、後にロシア語も取得し、ロシア語で活動するという語学的分裂が生まれたと言われている。
当初はピカソなどのキュビズムから影響を受け、色彩と立体を多用するクボ・フトゥリズムというジャンルの作品を描いた。
しかし1910年代の半ばから作風は一転し意味や要素を排除したシュプレマティスム(絶対主義)を提唱した。
ソ連が成立するとスターリン政権は前衛芸術を否定し、弾圧をした。マレーヴィチもその影響を受け写実的な画風の絵画に戻ってしまった。
そして
そのまま1935年にその生涯を閉じた。
作品 『The Knifegrinder ナイフグラインダー』 1912〜1913
未来派に影響を受けていた頃の作品だ。幾何学や立方体、色彩を多用した作品だ。
当時としてもかなり前衛的であるが、このような作品からさらに要素をなくした作風になって行くのだ。
抽象画の到達点?シュプレマティスムとは?
シュプレマティスムは1910年代の「ロシア・アヴァンギャルドと言われる前衛芸術運動の中で生まれた。当時ヨーロッパでは普遍性を求めたモダニズムや、ピカソのキュビズなどが提唱されていた。
そられの到達点とも言われているのがシュプレマティスムである。
意味を徹底的に排除した抽象画だ。
「黒の正方形」はただの黒い正方形のように見える。それゆえ「何も描かない画家」とも言われるまでになった。
作品 『シュプレマティスム 黄と黒』
マレーヴィチは40点余りのシュプレマティスム(=抽象性を徹底した絵画の一形態)作品を制作している。この作品でも画面と言う空間の中に単純な幾何学形態が散りばめられており、個々は自由に浮遊するようで全体は綺麗にまとまっている。
他にも宇宙開発や人工衛星などのメカニックなものにも興味を示していた。
彼の興味は三次元の制約を受ける地上から開放され、四次元的な世界を目指していたと言われている。
作品 『黒い正方形』
マレーヴィチが描いた最初の抽象画と言われる作品。この作品ではただの黒い四角形を描いているだけであるが、マレーヴィチのシュプレマティスムに対する理念が込められている。
おすすめ商品
「黒い正方形、あらゆる可能性の兆しである」と彼は語っている。
彼は、自らの今後の制作活動に対して精神的な自由を得る為に、あえてあらゆる可能性を内包した図を発表したのかもしれない。
まとめ
世界に衝撃を与えたシュプレマティスムであったが、1917年のロシア革命とともに成立したソ連下では、芸術が弾圧されロシアのシュプレマティスムは途絶えてしまったのだ。
芸術は常に弱い立場である。自由な環境でこそ発展するのだろう。
今の日本の社会状況はどうであろうか?
政治の動きを見ていると、思想の自由を基礎にしている芸術にとっては好ましくない法律が成立している現状もある。
かつてのソ連のように政治に芸術の表現が制限されない社会であることを願おう。
記事協力:ネット美術館「アートまとめん」
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