北斎の娘、葛飾応為の美しい光とコントラストの浮世絵【art】

北斎の娘、葛飾応為の美しい光のコントラストの浮世絵【art】
葛飾北斎の娘葛飾 応為の美しい浮世絵 葛飾北斎を知らない人などほぼ以内だろう。荒れ狂う神奈川沖の海と富士山を描いた作品は迫力があり海外にも人気である。

その北斎に実は娘がおり、その娘の作品が父親も凌ぐと言われているほど美しいのである。 



北斎の娘、葛飾応為とは 

葛飾北斎の3女で、江戸時代後期の浮世絵絵師である。応為はペンネームで、本名は栄(えい)と言い、お栄とも世呼ばれていた。

一度は嫁に行ったが、離縁(離婚)し、出戻ってしまう。
そして晩年の北斎と一緒に住みながら、浮世絵の制作もしていく。

特に美人画に優れ、その腕は北斎以上だったと言われている。北斎の春画の彩色を担当していたリなど、共作も多い。

北斎の作品と言われる中にも応為が代作していたものもあるのではと言われている。 

なので作品自体は少なく、葛飾 応為自身の作品で現在しているのは10点前後だ。。

作風はそれまでの浮世絵には見られない遠近感と劇的な影のコントラストが特徴である。西洋画の影響があると考えられている。

なぜ「応為」になったのかにはいくつかの説がある。

北斎が娘を呼ぶ時に「オーイ、オーイ」と呼んでいたのがそのまま号になったと言う説と、応為が逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と呼んでいたという説がある。


男勝りな性格? 

性格も北斎に似ていたと言われており、何でもはっきり言う男勝りな性格であったと言う。

煙草とお酒が大好きだった。

実は結婚も絵師の南沢等明(みなみざわとうめい)の元に嫁いだのだが、親が北斎で自身も絵がうまかった応為は、南沢等明の絵を笑ってしまったのだ。

そのことが離縁の原因になったと言われている。 

作品 吉原格子先之図 

北斎の娘、葛飾応為の美しい光のコントラストの浮世絵【art】 吉原格子先之図
応為の作品の中でも特に美しいのがこの作品だ。
吉原遊郭の妓楼・和泉屋を描いた作品だ。

それまで日本の浮世絵では表現されなかった、光の陰影が表現されている。
そのコントラストが特に美しい作品だ。 

また日本人クリエイターの瀬川三十七が吉原格子先之図の動く浮世絵を作っている。
それがこちらだ。

北斎の娘、葛飾応為の美しい光のコントラストの浮世絵【art】動く浮世絵 吉原格子先之図
光の揺らめきが再現され、さらに美しくなっている。
その当時の空気感がまでも伝わってきそうだ。 

作品 夜桜美人図 

北斎の娘、葛飾応為の美しい光のコントラストの浮世絵【art】 夜桜美人図
こちらも光のコントラストが美しい作品だ。

応為の印がない作品だが、明暗の付け方や、細部の表現などから応為の作品だと考えらえれている。元禄時代に活躍した女流歌人・秋色女を描いた作品だと考えられる

作品 月下砧打美人図(げっか きぬたうち びじんず) 

北斎の娘、葛飾応為の美しい光のコントラストの浮世絵【art】 月下砧打美人図(げっか きぬたうち びじんず)
満月に照らされ女性が砧を打つ場面だ。またこの絵の落款部分は後人が一度削り取ろうとした跡があると言う。

そして新たに北斎の落款を入れて、売ろうとしていたではと考えらている。
やはり北斎の名の方が売れたと言うことであろうか? それが応為の作品が少ない原因の一つかもしれない。



作品 唐獅子図 

北斎の娘、葛飾応為の美しい光のコントラストの浮世絵【art】 唐獅子図
中の獅子は北斎、周りの花を応為が描いた親子の共作である。
色彩が浮世絵は見たことがないほどい色鮮やかである。 

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まとめ 

ついついうっとり見てしまう、美しいコントラストは日本のレンブラントとも言われている。

もっと評価と知られていい人物なのではと思ってしまう。 

応為の最後はあまりはっきりしておらず、北斎がなくなったあと8年後に家を出て行方不明になったと言う。

作品も少なく謎も多いが、人生もそうだったのかもしれない。
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