山口県、下関にある火の山に行ってきた。
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まず目に入ってきたのはこちらだ!
こちらは第1〜第3砲台で、下にアーチ状の空間が残っている。
第1〜第3砲台は海峡守る為に、海峡に向けてつくられた砲台だ。
この空間に弾薬などを保管していたらしい。現在はベンチとテーブルが置かれている。
関門海峡を見渡せる、景色の良い場所で下関の観光名所にもなっている。
しかし実はこの火の山、かつては重要な軍事拠点でありその名残を残しているのだ。
しかし実はこの火の山、かつては重要な軍事拠点でありその名残を残しているのだ。
火の山には明治の砲台の跡が今も残っている?
関門海峡を見下ろせる観光スポット、火の山
関門海峡を挟んで山口県側にあるのが火の山だ。
瀬戸内海国立公園の最西端でもあり、気持ちいい風景が見渡せる場所だ。
そんな場所に砲台の跡が?
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火の山に行くのは久しぶりだった、、
前回行ったのは7〜8年くらい前だろうか?以前は夜だったので全く何があったか覚えていない。
昼間に行くのは初めてだ。
やはり風景はいい!
かつての軍事拠点!今も残る大砲跡!
そしてそんな山頂には景色だけでなく、大砲の遺構が残っているのだ!まず目に入ってきたのはこちらだ!
こちらは第1〜第3砲台で、下にアーチ状の空間が残っている。
第1〜第3砲台は海峡守る為に、海峡に向けてつくられた砲台だ。
この空間に弾薬などを保管していたらしい。現在はベンチとテーブルが置かれている。
実は火の山という名称は、平安時代に敵の襲来を知らせる為の狼煙台ができた事に由来している。室町時代には山城が築かれ、江戸時代には再び狼煙場になったようだ。
そして明治21年からは旧日本陸軍の施設として、「下関要塞火の山砲台」が設置された。
そして明治21年からは旧日本陸軍の施設として、「下関要塞火の山砲台」が設置された。
以後重要な軍地基地となり戦後まで民間人は立ち入ることができなかったのだ。
明治時代は関門地域は軍事上の重要ポイントであり、東京湾、大阪湾につぐ日本三大要塞の一つに数えらていた。
次に最もよく残っている第4砲台跡を見に行って見よう。
半分自然のなかに埋もれてしまった遺構が残っている!
第4砲台は内陸にある下関要塞本部を守る為の役わりだった。観測所や司令室も併設されている為、立派に残っているのだ。
ちなみに28cm榴弾砲は明治時代に国産として大量生産された初期の大砲だ。
斜め上に向けて発射し、重力で加速をつけて目標に着弾する、
最大射程距離は7800mほどだった。
この中がかつての司令室だと思われる場所だ。以外にも狭い。
そこを抜けるとかつて大砲があった場所に抜ける。
現在では大きな木が生えている。70年と言う時の流れを感じる。
さらに、
第4砲台、司令室、観測所の下には広い空間がいくつも残っている。
暗く、ちょっと怖い空間がいつくもある。何に使われていたのだろうか?
かまどがある部屋もあった。
こちらの広場になっている場所は、
昭和に入って作られた空に向けた高射砲の跡のようだ。
素晴らしい関門海峡の景色と、日本の歴史を感じる事のできる場所であった。
実は軍事拠点ががあったっことは知られていたが、
これらの遺構はその後埋もれ、平成16年の公園の整備をする際に見つかったものも結構あると言う。
たかが100年前であるが、人間の歴史や痕跡と言うのもは案外忘れさられやすいのかもしれない。
明治時代は関門地域は軍事上の重要ポイントであり、東京湾、大阪湾につぐ日本三大要塞の一つに数えらていた。
次に最もよく残っている第4砲台跡を見に行って見よう。
半分自然のなかに埋もれてしまった遺構が残っている!
第4砲台は内陸にある下関要塞本部を守る為の役わりだった。観測所や司令室も併設されている為、立派に残っているのだ。
ちなみに28cm榴弾砲は明治時代に国産として大量生産された初期の大砲だ。
斜め上に向けて発射し、重力で加速をつけて目標に着弾する、
最大射程距離は7800mほどだった。
この中がかつての司令室だと思われる場所だ。以外にも狭い。
そこを抜けるとかつて大砲があった場所に抜ける。
現在では大きな木が生えている。70年と言う時の流れを感じる。
さらに、
第4砲台、司令室、観測所の下には広い空間がいくつも残っている。
暗く、ちょっと怖い空間がいつくもある。何に使われていたのだろうか?
かまどがある部屋もあった。
こちらの広場になっている場所は、
昭和に入って作られた空に向けた高射砲の跡のようだ。
まとめ
以外にも多くの遺構が残っていたのだ。素晴らしい関門海峡の景色と、日本の歴史を感じる事のできる場所であった。
実は軍事拠点ががあったっことは知られていたが、
これらの遺構はその後埋もれ、平成16年の公園の整備をする際に見つかったものも結構あると言う。
たかが100年前であるが、人間の歴史や痕跡と言うのもは案外忘れさられやすいのかもしれない。
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