タトゥーとは何か?暴力化か、おしゃれか、アートか?【Art+Thought】



日本でも外国人旅行者や、在日外国人も多くなった現代ではタトゥーを見る機会も増えて来ている。
東京のような都会に住んでいれば、見ない日の方が少ないくらいである。しかし未だに、タトゥーに対して抵抗感があるのも事実である。

タトゥーとは一体なにか?
暴力の象徴か?おしゃれか?それともアートか?


世界最古の現存するタトゥー



1991年にアルプスで見つかった凍り付けの遺体、アイスマン。当初登山者の遺体だと思われていたが、奇妙にミイラ化していたことから炭素測定により調べると5300年前の人間だということがわかった。
アイスマンの体を調べるとタトゥーが見つかったのである。このタトゥーは現代のタトゥーのような意味ではなかった。アイスマンが腰を痛めていることが判明しその腰に効くツボの位置を示したものであった


トライバルタトゥー


西洋のイメージが強いタトゥーであるが、伝統的には環太平洋地域で同時多発的に発生したトライバルタトゥーが源流であると言われてる。今でも環太平洋の島々のタヒチ、マオリ、サモアなどの先住民の間にトライバルタトゥーが残っている。

民族内の閉鎖的な環境で進化していった。多種多様のデザインと意味がある。
社会ステータス、既婚のサイン、宗教的や呪術的な意味ともかかわることが多い。色は使わず黒一色だ。明治期に禁止された、日本のアイヌや琉球のタトゥーもトライバルタトゥーに分類される。

ヨーロッパのタトゥーは新しい

初めてタトゥーを入れたイギリス人は、Joseph Banksという有名な科学者だった。彼は18世紀にポリネシアに行った際、ポリネシア人の肌に彫ってある綺麗な模様に魅了されタトゥーを入れたのだ。実はタトゥーはポリネシア語である。

その後イギリスに持ち込まれた。しかし当初はギャングや犯罪者もタトゥーを入れたことにより今の日本の様に「怖い、暴力」というイメージが広まった。
しかし徐々に上流階級にも広まり、ついには王族さえも入れるようになりヨーロッパに広まって行ったのだ。

日本の刺青

このような議論になる時に、日本の刺青と、海外のタトゥーは分るべきだという意見がある。
確かにそうかもしれない。絵画にも様々なジャンルがあるようにタトゥーも一括りにはできないのだ。その日本の刺青の歴史をみていこう。

縄文人のトライバルタトゥー

日本では刺青は縄文時代からあったと言われている。縄文時代の土偶の模様はタトゥーの痕跡だと言われている。
この頃のタトゥーはトライバルタトゥーの一種である。縄文時代の土偶にタトゥーの痕跡が見られることは日本人のルーツがどこにあるのかもヒントにもなりそうだ。

その後大陸から弥生人の流入と共にタトゥーは野蛮な民族のものだと捉えられ、犯罪行為と同様となり懲罰としてタトゥーが施されるようになった。

口周りにタトゥーを施すアイヌの女性。

現在の刺青は江戸時代に発展


江戸時代末期の飛脚の刺青

タトゥーが刺青へと変わったのは江戸時代である。

現在の私たちが知る日本の刺青は17世紀から19世紀中期にかけて発展した。

江戸時代の当時、大工や火消し、漁師などの人々は蒸し暑い日に服を着崩し、肌を見せる習慣があったという。
その露出した肌を隠す為に発展したのが刺青である。

肌を隠すために生まれたため、全身に絵や柄を入れる独特のスタイルになった。
龍や花などの華美なモチーフや、お洒落要素や芸術的要素が取り入れられ、芸術性を競うコンテストも開催された。

大工、左官、火消し、駕篭かき等の職人に好まれるようになり、広く普及したのだ。


こちらは江戸時代の浮世絵だ、なんと力士も刺青も入れていたのである。現代では力士が刺青など考えられない。刺青に怖いという印象はなくかっこいというイメーであった。海外のスポーツ選手がタトゥーを入れる感覚と同じであったのだろうか?

そんな刺青のイメージはなぜ変わっていったのであろうか?

明治維新で変わったイメージ

そんなタトゥーもイメージが変わったのは明治維新である。明治政府は日本の古い文化を次々に廃止していった髷や、服装、刀、そして刺青もその中に含まれた。

また同時にアイヌ民族や琉球、奄美に残っていた伝統的なタトゥーも同時に禁止された。

そして法律をある程度気にしない怖い人達の間にだけ残ってしまい、怖いイメージがついてしまったのだ。

■「刺青」と「入れ墨」の違い
日本語でタトゥーを示す言葉はこの2つある。「刺青」「入れ墨」だ。
両方「いれずみ」と呼ぶが、実は意味合いが全く違うのだ。

アート的な要素があったのは「刺青」で、当時は「しせい」と読んでいた。こちらの「入れ墨」は罪を犯したものにいれるバツの要素があるもであった。

■絶賛された日本の刺青

                刺青を施される王族

明治維新以後禁止された刺青であったが、海外ではその芸術性は非常に人気であった。
浮世絵が外国人に人気で、影響を与えたように、刺青も海外に影響を与え人気であったのだ。

先ほど記述したイギリスの王室は日本の刺青に魅了され、日本に刺青を入れに来ていたという。


日本をを訪れた王族たちは競って刺青を入れた。
死後、皮膚を芸術として大英博物館に寄贈すべきだと主張したものもいた。

伝説的彫師


当時の日本の刺青は他国には真似できない技術や表現方法があったのだ。
そんな西洋から絶賛された日本の刺青界で「刺青界の皇帝」と呼ばれた彫師がいた。それが彫 千代であった。

しかし日本ではほぼ無名で、謎の人物であった。西洋で日本の宣伝の為に名前だけが先行し、伝説になったのかもしれない。英国王室のヴィクター王子やジョージ王子、またロシア皇帝にも刺青を施したなどの伝説がある。

現代のタトゥー

そして現代のタトゥーは多種多様になっている
民族的な意味合いは少なくなり、個人の思想や主張、アート性が強くなっている。いくつか現代のタトゥーを紹介しよう。


ワンポイント


文字通りワンポイントのさりげないタトゥーだ。可愛らしくたタトゥーに見えない。

ヲタトゥー


アニメののキャラクターを入れるタトゥーだ。

3Dタトゥー



立体的に浮きあがって見えるタトゥーだ。ボティペイントや特殊メイクに近い要素も感じる。違う点は消えない事だ。

他にも様なタトゥーがある。→まとめNEVER

体におったキズをタトゥーで隠す



体におったキズを隠したりするためにタトゥーを施すのだ。タトゥーでキズを隠す事で心の傷も癒え、自身もつくのである。

ハゲを笑いに変える


ハゲを笑いに変えるタトゥーだ。ハゲた髪を芝刈り機で刈っているのだ。

参照元
http://spotlight-media.jp/article/284262081966460529

まとめ

現代のタトゥーはその意味は変化しているが、多種多様なタトゥーがそ存在しているのはそれまで歴史や培ってきた技術があったからであろう。
して世界のタトゥーの感覚は失われた日本の刺青に近い感覚なのではないかと感じた。
アートの要素とかっこよさがある、それが実現できているのも日本の刺青の技術や作品が影響を与えているように感じた。

現代のタトゥーに大きな影響を与えていたのは、日本の刺青であった。しかしその日本ではタトゥーが受け入れられていないのは、皮肉で不思議な運命であろう。


出典:https://mountainhightattooworks.wordpress.com/
http://matome.naver.jp/odai/2142103802339054101
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