「彼が狂人なのか、天才なのかはわらない。それは時が明らかにするだろう」
これはガウディが通っていた建築学校を卒業するときに、校長から言われた言葉である。
サグラダ・ファミリアを建てた事で知られるガウディとは一体何者であるのか?
サグラダ・ファミリアを設計したガウディとは?
アントニオ・ガウディ1852年-1926年スペインの建築家。バルセロナを中心に活動した。
サクラダ・ファミリアなど複数の作品が「アントニオ・ガウディの作品群」として世界遺産の登録されている。
大衆の評価と建築界のズレ
建築界には3大巨匠がいる。ミース・ファンデル・ローエ、ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライトである。
この3人はモダニズム建築の流れを作った建築家たちで、後の建築界にも大きな影響を与えた人物達である。
しかしガウディやサグラダ・ファミリアは知っているが、建築の3大巨匠は知らないという人が多いのではないだろうか。
ここに建築界と大衆との感覚の違いが存在するのである。
3大巨匠の建築をわざわざ見に行くのは建築界の人かよっぽどの建築好きくらいだ。
しかしガウディの作品は建築界の人も建築を知らない人も多くが見に行く。
世界一観光客の多い建築とも言われている。
ガウディの建築は建築史上では3大巨匠に比べれば重要ではない。
しかし多くの人が見に行くのだ。
サグラダ・ファミリアのチケット購入に並ぶ人々
時代の流れに逆らったガウディ
ガウディの特徴と言えば優美な曲線、生命力溢れる装飾であろう。彼のその作風はアール・ヌーヴォーに分類されるが、単純にアール・ヌーボーに分類していいのか疑問に感じる。ガウディの曲線にはそのような様式には分類できそうにない独自の世界観があるように感じるのだ。
アール・ヌーボーとは
アール・ヌーボーとは19世紀のヨーロッパで流行った装飾様式で植物をモチーフをした曲線が特徴である。すでに19世紀末には、ウィーンではアドルフ・ロースやオットー・ワーグナーといった近代建築を目指す建築家が活躍をしていた。
合理性や、機能性を重視し脱様式の動きが起きていたのだ。
「装飾をすることは犯罪を犯すことと同じである。」
19世紀末ウィーンの建築家アドルフ・ロースの言葉である。ガウディはこの言葉をどのように受け止めたのだろうか。
アドルフ・ロース シュタイナー邸
そのあとの時代に登場したのが、3大巨匠の一人のル・コルビュジェである。コルビジェはモダニズムの考えを受け継ぎ、それを進化させたのだ。
「住宅は住む機械である」
コルビジェもこのような言葉を残している。
同時代に生きた二人であるが、同時期に作られた建築とは思えないほど違いがある。
このようにガウディが活躍した時期のヨーロパの建築界というのは、モダニズム建築が現れた時期であり、機能性や合理性が重視されたのだ。今に続く四角い箱の建築が主流になり始めてたのだ。
コルビジェのサボワ邸とガウディのカサ・ミラ
「住宅は住む機械」という言葉をのこしたコルビジェはその言葉を実現すべく、サボワ邸という住宅を完成させた。この建築でコルビジェは近代建築の5原則も発表した。
現代に作られてもおかしくない、普遍性のある建築なのである。
そしてこちらがガウディが設計した集合住宅「カサ・ミラ」である。今でも集合住宅として利用され現在でも人気である。
同時期に作られた建築とは思えないのである。
しかし後期のコルビジェは曲線を使った生命力のある作品を作るようにもなった。
自然から裏付けされた根拠
森の様なサクラダ・ファミリア内部ガウディの建築はただ奇をてらったものだけであったのだろうか?ガウディのその独特な形態は自然からヒントを得たものであると言われている。
随所に自然界に見られる形が存在するのだ。そしてガウディはこんな言葉を残している。
美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない。創造的であろうとして、意味の無いものを付け加えてはいけない。 自然の原理をよく観察し、それをよりよくしようと努力するだけでいい。
アール・ヌーボーに分類されるガウディであるが、その建築はただの装飾ではなく自然からの根拠があるように思われるのだ。
またこの言葉はアール・ヌーボーの装飾を否定しているように捉える事もできるのである。
合理主義、機能主義のモダニズム建築とは違うと分類されるガウディであるが、その裏には自然からヒントを得た合理的な判断があるのではないだろうか。
カサ・ボトリョ内部の照明デザイン。巻き貝からヒントを得たと言われている。
サグラダ・ファミリア

スペインのバルセロナにあるカトリックの大聖堂。
世界遺産にも登録され世界中から観光客が訪れる。
1882年の着工で当初は300年かかると言われていた。近年は建築技術の発展などもあり2026年の完成を目指している。
カサ・ミラ
こちらもバルセロナにある集合住宅である。ファサードも内部も独特な曲線で構成されている。地中海をイメージして作られている。
この作品は当初市民からの評判は最悪であり「石切り場(ラ・ペドレラ)」と呼ばれた。
グエル公園
公園と名前が付いているが公園ではなく、グエルとガウディが「自然と芸術に囲まれて暮らせる場所」をと目指した分譲住宅地である。これも当初、市民からは理解されなかった。
まとめ
ガウディは時代に囚われることのない人物であったのではないだろうか?周囲の建築表現の流れなど気にせず、自らの独創性を信じて強い意志でもって建築を創り上げていったのだろう。
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それは当初は理解されないことも多かったが、ようやく時代がガウディに追いついて来たのだ。
ガウディの建築は今後も人々を魅了し続けるだろう。
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