日本の近代建築は他の分野と同じように、西洋に学ぶことによって発展した。コンクリートを取り入れた建築は戦前であってもすでに西洋先進諸国に並ぶようなレベルであった。
その日本建築を世界レベルに引き上げたのが丹下健三と言われている。
日本人建築家としてい海外にもいち早く評価されたのが丹下健三だ。
今でも日本を代表する建築が多く残っている。
1913年:大阪の堺市に生まれる。
父の仕事で上海にいき、その後父の出身地の愛媛の移住にする。
1930年:高校時代にル・コルビジェの記事を雑誌で見て建築家を目指すようになる。
1935年:東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学。
卒業後は前川國男事務所に入る。
そしてその後の多くの建築を残し、日本の建築界を牽引していく。
前川國男はル・コルビジェの事務所で働いてこともあるコルビジェの弟子であり、日本の近代建築を牽引してきた人物だ。
そんな人物の元でコンクリートを使ったモダニズム建築を学んだのである。
機能主義・合理主義とも言われる。
コルビジェがの残した 「住宅は住むため機械」という言葉はその時代を象徴する言葉である。
しかし次第にモダニズムの合理主義は人間が取り残されているのでは?という批判も起こり始めた。
そしてもう一度過去の様式や装飾を見直そうとしたのがポストモダニズムである。
丹下の初期の建築もモダニズム建築であった。しかし後期の丹下の作品はポストモダニズム建築のようなスタイルも見られていくのである。
丹下健三は日本を代表する多くの建築を作った。
丹下の名前は知らなくてその建築は一度は目にしたことがあるはずだ。現存する丹下の建築をいくつか紹介しよう。
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この建物を設計したのが丹下健三なのだ。 広島県広島市中区に所在する博物館。「原爆資料館」(げんばくしりょうかん)とも呼ばれる。
モダニズムを代表する近代的な建築だ、今見ても古さを感じさせない。日本の戦後の復興を象徴する建築だ。
コンクリートによる建築で、1F部分はピロティである。その高さは6.5mと近くに行くと巨大さを感じさせる。
「人間の尺度ではなく社会的尺度が必要だ」と言いこの高さになったという。
また隣接する平和記念公園も丹下によるものである。平和資料館と公園の慰霊碑、そして原爆ドームが直線上に並んでいるのだ。
コンペによる設計だったが、この場所にあった原爆ドームに注目し、原爆ドームも含めた設計を提案したのは丹下だけであった。
それにより慰霊碑を通し原爆ドームを見ることができ、より一層思いをはせることができる。
丹下によって原爆ドームがシンボルとなり、後に世界遺産になったのは丹下のおかげと言ってもいいかもしれない。
東京の渋谷区代々木、明治神宮の隣にある建築だ。1964年の東京オリンピックに間に合わせるために18ヶ月という驚異的なスピードで完成された。
現在ではスポーツイベントの他にも音楽のイベントなどが行われる。
目がいく突き出た柱とグネッと捻られたような屋根の形が特徴だ。吊り橋の構造と同じ釣り構造をしている。
土木の技術を建築に応用した珍しい例でもある。内部に柱がなく競技をより集中して見ることができる空間になっている。
造形的で生命力のある建築で、自然的にも人工的にも見える。
建築界でもファンの多いい建築だ。
丹下を代表する建築なのだ。
また建築家槇文彦氏らを中心として、2020年次の東京オリンピックまでに世界遺産に登録しようと言う動きもある。
東京文京区にキリスト教、カトリックの教会である。
前川國男、谷口吉郎、丹下健三の3名の指名コンペであった。その中で建物自体が上部からみると十字架になる丹下案が当選した。
上空から見ると十字架の形になっている。
http://applembp.blogspot.com/2014/07/St.Marys-Cathedral-Tokyo-Kenzo-Tange.html
内部は天井に向かいすり鉢のように閉じるようになっており、上部から神秘的に光が落ちる。生命力のある内部空間になっている。
キリスト教徒でなくても自由に見学することが可能である。 丹下自身もカトリック信者である。
初期のモダニズム建築とは違い、装飾的な建築になっているのである。 それもそのはずこの建築はゴシックの聖堂を参考にしたと言われている。
ポストモダンの代表的な建築だと言われている。
遠くから見れば窓に見えるものは実はただの模様である。 ちなみに隣の新宿パークタワーも丹下の建築であり、似ているのだ。
莫大な建設費と怪しい関係から批判も多かったのだ、今であればオリンピックロゴの佐野氏や国立競技場のザハ氏のように炎上する可能性もあるだろう。
コルビジェの近代建築の5原則、(1)ピロティ、(2)屋上庭園、(3)自由な平面、(4)水平連続窓、(5)自由なファサードを組み込んで設計された建築だと言われている。
現在は子会社の電通テックが入っている。
まるで浮いているようにも見える奇抜な建築だ。
丹下健三が最後に指揮をとった巨大プロジェクトだ。
その賞を日本人で初めて受賞したのが丹下健三であった。1987年のことだ。
ヨーロッパの建築に憧れて前川などがコルビジェの元に行ったように、今は外国人が日本人建築家の元にやってくる時代だ。
その流れきを作っのが丹下健三かもしれない。
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また丹下の事務所からは磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの日本だけでなく世界的に有名になる建築家を多く輩出している。 そ
の設計した建築だけでなく、残した功績は大きい。
その日本建築を世界レベルに引き上げたのが丹下健三と言われている。
日本建築を世界レベルにした、丹下健三とは?
「世界のタンゲ」と言われ、第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がけた。日本人建築家としてい海外にもいち早く評価されたのが丹下健三だ。
今でも日本を代表する建築が多く残っている。
1913年:大阪の堺市に生まれる。
父の仕事で上海にいき、その後父の出身地の愛媛の移住にする。
1930年:高校時代にル・コルビジェの記事を雑誌で見て建築家を目指すようになる。
1935年:東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築科に入学。
卒業後は前川國男事務所に入る。
そしてその後の多くの建築を残し、日本の建築界を牽引していく。
前川國男はル・コルビジェの事務所で働いてこともあるコルビジェの弟子であり、日本の近代建築を牽引してきた人物だ。
そんな人物の元でコンクリートを使ったモダニズム建築を学んだのである。
モダニズムからポストモダンへ
時代はまさにモダニズム建築の時代だ。それまでの伝統や装飾を否定し、普遍的な建築を目指した。機能主義・合理主義とも言われる。
コルビジェがの残した 「住宅は住むため機械」という言葉はその時代を象徴する言葉である。
しかし次第にモダニズムの合理主義は人間が取り残されているのでは?という批判も起こり始めた。
そしてもう一度過去の様式や装飾を見直そうとしたのがポストモダニズムである。
丹下の初期の建築もモダニズム建築であった。しかし後期の丹下の作品はポストモダニズム建築のようなスタイルも見られていくのである。
丹下健三は日本を代表する多くの建築を作った。
丹下の名前は知らなくてその建築は一度は目にしたことがあるはずだ。現存する丹下の建築をいくつか紹介しよう。
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広島平和記念資料館+平和記念公園
第二次世界大戦と原爆の記憶を保存し後世に伝えるための建築だ。この建物を設計したのが丹下健三なのだ。 広島県広島市中区に所在する博物館。「原爆資料館」(げんばくしりょうかん)とも呼ばれる。
モダニズムを代表する近代的な建築だ、今見ても古さを感じさせない。日本の戦後の復興を象徴する建築だ。
コンクリートによる建築で、1F部分はピロティである。その高さは6.5mと近くに行くと巨大さを感じさせる。
「人間の尺度ではなく社会的尺度が必要だ」と言いこの高さになったという。
また隣接する平和記念公園も丹下によるものである。平和資料館と公園の慰霊碑、そして原爆ドームが直線上に並んでいるのだ。
コンペによる設計だったが、この場所にあった原爆ドームに注目し、原爆ドームも含めた設計を提案したのは丹下だけであった。
それにより慰霊碑を通し原爆ドームを見ることができ、より一層思いをはせることができる。
丹下によって原爆ドームがシンボルとなり、後に世界遺産になったのは丹下のおかげと言ってもいいかもしれない。
代々木体育館
丹下健三の建築の中でも多くのファンがいる建築である。この建築で日本の建築が注目され、「世界のタンゲ」になった作品だと言われている。東京の渋谷区代々木、明治神宮の隣にある建築だ。1964年の東京オリンピックに間に合わせるために18ヶ月という驚異的なスピードで完成された。
現在ではスポーツイベントの他にも音楽のイベントなどが行われる。
目がいく突き出た柱とグネッと捻られたような屋根の形が特徴だ。吊り橋の構造と同じ釣り構造をしている。
土木の技術を建築に応用した珍しい例でもある。内部に柱がなく競技をより集中して見ることができる空間になっている。
造形的で生命力のある建築で、自然的にも人工的にも見える。
建築界でもファンの多いい建築だ。
グーグルのロゴも代々木競技場に
丹下健三生誕100周年記念にはグーグのロゴも変化し、そのときの建築が代々木体育館であった。丹下を代表する建築なのだ。
また建築家槇文彦氏らを中心として、2020年次の東京オリンピックまでに世界遺産に登録しようと言う動きもある。
カテドラル大聖堂
こちらも建築界の中ではファンの多い建築である。代々木競技場と同じく1964年に作られた建築だ。東京文京区にキリスト教、カトリックの教会である。
前川國男、谷口吉郎、丹下健三の3名の指名コンペであった。その中で建物自体が上部からみると十字架になる丹下案が当選した。
上空から見ると十字架の形になっている。
http://applembp.blogspot.com/2014/07/St.Marys-Cathedral-Tokyo-Kenzo-Tange.html
内部は天井に向かいすり鉢のように閉じるようになっており、上部から神秘的に光が落ちる。生命力のある内部空間になっている。
キリスト教徒でなくても自由に見学することが可能である。 丹下自身もカトリック信者である。
東京都庁
丹下の後期の代表作とされるのが、東京都庁だ。展望室は無料で東京が一望できる。現在は東京の観光名所としても有名だ。初期のモダニズム建築とは違い、装飾的な建築になっているのである。 それもそのはずこの建築はゴシックの聖堂を参考にしたと言われている。
ポストモダンの代表的な建築だと言われている。
遠くから見れば窓に見えるものは実はただの模様である。 ちなみに隣の新宿パークタワーも丹下の建築であり、似ているのだ。
批判も多い?
完成当時は日本一の高さを誇る高層ビルであった。総工費は1569億円、コンペであったが当時の都知事、鈴木俊一と親しかったので出来レースとも言われていた。莫大な建設費と怪しい関係から批判も多かったのだ、今であればオリンピックロゴの佐野氏や国立競技場のザハ氏のように炎上する可能性もあるだろう。
その他現存する建築
香川県庁舎 東館 1958
丹下の初期の建築だ。梁を意図的に見せており日本建築と共通する要素もある。まるで五十の塔のようなイメージを受ける。コルビジェの近代建築の5原則、(1)ピロティ、(2)屋上庭園、(3)自由な平面、(4)水平連続窓、(5)自由なファサードを組み込んで設計された建築だと言われている。
電通テック本社ビル 1967
何かと話題の広告制作会社電通の旧本社ビルである。実は丹下が設計していたのだ。東京都中央区築地一丁目にある。現在は子会社の電通テックが入っている。
駐日クウェート大使館 1970
東京都港区三田にあるクウェート国の大使館だ。いくつかの箱がが重ねられたような造形をしている。まるで浮いているようにも見える奇抜な建築だ。
FCGビル 1996
誰もが見たことはあるだろう、フジテレビの球体が特徴的なビルである。この建築も丹下だったのだ。丹下健三が最後に指揮をとった巨大プロジェクトだ。
まとめ 日本人初のプリツカー賞
建築のノーベル賞とも言われているプリツカー賞。2013年伊東豊雄、2014年坂茂と今では日本人が2年連続で受賞するまでになったが。その賞を日本人で初めて受賞したのが丹下健三であった。1987年のことだ。
まとめ
今では日本の建築家が世界でも多く活躍している。ヨーロッパの建築に憧れて前川などがコルビジェの元に行ったように、今は外国人が日本人建築家の元にやってくる時代だ。
その流れきを作っのが丹下健三かもしれない。
おすすめ商品
また丹下の事務所からは磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの日本だけでなく世界的に有名になる建築家を多く輩出している。 そ
の設計した建築だけでなく、残した功績は大きい。
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