今日はそんなゴッホの衝撃的なエピソード、ゴッホの耳切り事件についての話をしましょう。
苦悩の画家ゴッホ
今では世界的に有名なゴッホですが、生前は世間に知られた画家ではなく、経済的、精神的にお苦労をした画家でした。
ゴッホ裕福な家庭に生まれました。しかし画家としては芽がでず、弟テオドルスに経済的負担をかけ続けていたことを苦にしていました。
また人間関係もうまくいいっていませんでした。そんなパリの喧騒から離れるため1888年にアルルの「黄色家」に移住をしました。
最初は共同で作品を作るなどアルルでの生活はうまく行っているようでした。
しかしその数ヶ月後、、
耳切り事件
ゴーギャンとの共同生活は互いに刺激し合うなどうまくいっているようでした。
しかしお互いに個性が強かった両者は互いに衝突しあうようになります。そして共同生活から2ヶ月後、喧嘩が発端となりゴーギャンはついに家を出ていってしまいました。
その事で精神を病んだゴッホは、自らの左耳を切り落とす「耳切り事件」を起こしたのでした。
そしてさらに、ゴッホその切った耳を知り合いの娼婦に送りつる!という奇行に走ったのだ。
このことは地元の新聞でも報道され、その後ゴッホは精神病院に入院することとなりました。
その奇行は多くの人はを驚かせました。なぜゴッホは自らの耳を切るという奇行に走ったのでしょうか?
先週の日曜日の夜の11時半、オランダの画家がラシェルという女に「この品を大事にとっておいてくれ」と言って自分の耳を渡した。そして姿を消した。
この通報を受けた警察は翌朝この人物の家に行き、横たわっている男を発見。この不幸な男は直ちに病院に収容された。
なぜ耳を切ったのか?
耳を切った理由については、様々な諸説が存在します。
一つの説では、当時一緒に住んでいた画家ポール・ゴーギャンと人間関係の絶望感から耳を切ったとされています。
喧嘩をし、ゴーギャンが家を出て、その1週間後に耳切り事件が起こっているのでその可能性は高いでしょう。
また、ゴッホは幼少期のゴッホは癇癪持ちで、大人たちから扱いにくい子と見なされていました。
授業にも集中できず、落ち着きのない様子で海岸で絵を描くことが好きでした。
成長してからも、彼は人間関係に苦しみ、職場を解雇されるなどの問題が続いていました。
そして時に感情のコントロールが効かず発作のようなものを起こしていました。
耳切り事件もその発作がきっかけだとも言われています。
しかし近年新たな説も登場しました。
2009年にドイツで出版された「In Van Gogh’s Ear: Paul Gauguin and the Pact of Silence」という本にとよると、筆者のハンス・カフマンが警察に残っていた当時の事件簿を調べたところ、
2009年にドイツで出版された「In Van Gogh’s Ear: Paul Gauguin and the Pact of Silence」という本にとよると、筆者のハンス・カフマンが警察に残っていた当時の事件簿を調べたところ、
「口論になりゴッホが最初にゴーギャンにワイングラスを投げつけ、それに逆上したゴーギャンがフェンシングの剣でゴッホの耳を切った」
という記述があったのです。
これが真相であれば、ゴッホが嘘をついたのか?もしくは後から話が歪曲されたという事になるでしょう。
ゴッホがゴーギャンを庇った説、ゴッホのイメージが先行し話が変わってしまった説もあるでしょう。真相な今となってわからぬままです。。
耳切り事件が起こった後、ゴッホは精神病院で治療を受けましたが、彼の病状は悪化しました。
彼はその苦難の中でも絵画への情熱を持ち続け、晩年には多くの傑作を生み出しました。
ゴッホの作品は今日、世界中の美術館で展示されており、彼の名声は決して色あせることはありません。
なお、ゴッホの切り落とされた耳は、3Dプリンター技術を用いて再現され、ドイツの美術館に展示されています。
参照元:https://casie.jp/media/gogh-mimikirijiken/ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1607/24/news009.htmlhttps://www.mag2.com/p/news/212624
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