無知の知。コーラを知らない未開の部族はコーラを飲みたいと思わない

「知らない事がある」という事を知っていることは重要だ。

ついつい人間は今、自分が知っている知識、世界が全てだと思いがちである。
自分が知っている事以外の可能性に目を向けるのは難しい。

しかし自分が知らない事を知り、世界を広げて行く事は人生を豊かにする上で重要だ。

知らない事を知る

“無知の知”という言葉ある。
古くから哲学の世界で使われてきた言葉だ。人間誰しも全ての事をしる事はできない。全て知っている気になり傲慢になるのではなく、知らない事があるという事を自覚し、行動をすべきだという言葉だ。

子供頃を思い起こすとその時の世界が全てだと思っていた。大人になれば子供の頃は狭い世界、知識の中で生きていた事に気づく。

しかし大人になったらなったで今の世界、知識が全てだと思っている。

高校を卒業し、大学に通い就職活動をし、企業に勤める。その世界だけで住んでいるとその選択肢が唯一でそれ以外は内容に思えてくる、、しかし少し違う世界に目を向けると他の選択肢がある事に気付ける。

子供の頃や若い内はまだ好奇心や柔軟性、聞く耳があり、外へと世界は広がって行く。しかし年齢をになると柔軟性や好奇心は失われ自分の世界から出なくなる。


そして全てを知っていると勘違いした井の中の蛙になってしまう。
知らないという事を知って行動すべきだろう。


コーラを知らない未開の部族はコーラを飲みたいと思わない

僕らは様々な場面で選択をする。
コーラを飲みたいと思ったら、コーラを買うと言う選択をするだろう。それは普通の事のように思える。

しかしコーラを飲みたいと思うにはコーラの存在を知っていないと思えない。


つまりコーラを知らない未開の部族はコーラを飲みたいと思えないのだ。
未開の部族はコーラを買うという選択をとる事ができないのだ。

未開の部族はスマホを欲しいと思えない、ゲームをしたいと思えない。ブランド品を欲しいと思えない、ハワイに行きたいと思えない。

つまり僕らは自分の知っている範囲の中で選択をし生きているのだ。。
ベストな選択ではなく、知っている範囲でのベターな選択をしているにすぎない。


未開の部族を客観的に見れば、選択肢が少ない事、狭い世界で生きている事がわかる。
だが僕らもまた別の人々から見れば狭い世界で生きていると思われているかもしれない。


コーラを超える存在を知る?

つまり無知の知とはコーラを超える存在がある事知る事だ。
もしかするとコーラを超える存在がこの世界にあるかもと認識することが大切だ

情報に満たされた現代人も、未開の部族も棚の表側しか見ていない。棚の裏に商品があることを知らない。

棚の裏を見るという行動をすべきだ。すると知らなかった事を知り新たな世界が広がるだろう。

自分の可能性、人生の可能性が広がるだろう。
未開の部族ではなく、世界を開拓する旅人になろう。

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