お爺さんの芝刈りは仕事かプライベートか?仕事でもプライベートでもある曖昧な生活【c】

おい爺さんの芝刈りは仕事かプライベートか?仕事でもプライベートでもある曖昧な生活【c】
おじいさんは山に芝刈りに、
おばさんは川に洗濯に。


昔話の典型的なパターンだ。


さて、
おじいさんの「芝刈り」
これは仕事だろうか?家事だろうか?
それともプライベートだろうか?


家の家事の為に木を刈って来るだろう。 
だから家事か?

余った木を売るかもしれない。 
やっぱり仕事か?

刈った木で自分の趣味の料理をするかもしれない。
やっぱりプライベートか?


今の僕らは仕事か?プライベートか?とついついわけて考えてしまう。
しかしそれは現代に洗脳されていると言っていい。

仕事かプライベートか?
そのような分け方は近代になり、西洋の経済システムがもたらされてから生まれた。

仕事を家庭に持ち込まないとか、妻は仕事に口を出さないとかの価値観が作られ、
今は仕事とプライベートのバランスをどうとるのか?
を一生懸命議論している。


おい爺さんの芝刈りは仕事かプライベートか?仕事でもプライベートでもある曖昧な生活【c】
違う!仕事とプライベートは対立軸ではないのだ!
仕事とプライベートの壁をなくせばいいんだ!




昔の日本には仕事や家庭、プライベートの区別がなかった。
そこにはあったのは全体としての生活だ。
曖昧な生活だ。

日本人にははっきりと分けることは向いてないのだ。


おじいさんの芝刈りは仕事でもあり、家事でもあり、プライベートでもあるのだ。


おい爺さんの芝刈りは仕事かプライベートか?仕事でもプライベートでもある曖昧な生活【c】
今やってるのは遊びだろうか?仕事だろうか?
まあどっちでもいいか!

そんな生活が日本人には合っている。


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