東京オリンピックへ向けて小池都知事も推進してるのが、電柱の無電化、電線の地中化である。
日本では電柱のある風景が当たり前となり気づかないが、欧米などでは無電柱化が当たり前で日本に来るとその風景に驚くのだ。
無電柱化を進める理由には景観の問題の他にも防災の問題などもある。
しかし日本の風景に溶け込んでしまっている電線、電柱は美しい風景を作る側面もあると言いたい。
空に電線や電柱が伸びる様子は混沌としており決して美しくないものもあるのは事実だ。この風景は日本をはじめ東南アジアでも見られる。
欧米からの外国人が訪れるとその風景に驚き、写真を撮るほどだという。
http://www.sankei.com/life/news/150626/lif1506260028-n1.html
こちらは東京の八王子の電線の様子である。電線が入り乱れる様子は決して美しいのではない。
危険すら感じるのである。

こちらはパリの街並み
日本では電柱のある風景が当たり前となり気づかないが、欧米などでは無電柱化が当たり前で日本に来るとその風景に驚くのだ。
無電柱化を進める理由には景観の問題の他にも防災の問題などもある。
しかし日本の風景に溶け込んでしまっている電線、電柱は美しい風景を作る側面もあると言いたい。
日本の電柱、電線の現状
現在日本には3500万の電柱があるのだという。空に電線や電柱が伸びる様子は混沌としており決して美しくないものもあるのは事実だ。この風景は日本をはじめ東南アジアでも見られる。
欧米からの外国人が訪れるとその風景に驚き、写真を撮るほどだという。
http://www.sankei.com/life/news/150626/lif1506260028-n1.html
こちらは東京の八王子の電線の様子である。電線が入り乱れる様子は決して美しいのではない。
危険すら感じるのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/blueblue556969/61607811.html
現在日本の東京23区の無電柱化率は現在6%。
しかしロンドン、パリ、香港などの都市では無電柱化率は100%だそうだ。
日本でも大正時代は無電柱化が進められていたが、戦後は焼け野原になり急速に応急的な処置が必要になりに電柱が建てられた。
そして今でも続いているのだ。
景観問題と安全問題
無電柱化、地中化の推進の目的には主に2つの理由が存在する。景観の問題と災害時などの安全性の問題である。景観問題
電線が空に張りめぐる様子は空を隠し、その景観が失われているという。伝統的な街な並が残る場所ではアンマッチで景観を破壊していると指摘される。
ヨーロッパの無電柱化は景観問題によるところが大きいだろう。
日本よりも街などの景観に対する意識が高いのだ。
また木造が主の日本と比べ石造が中心のヨーロッパは古い建物や街並みが多く残っていたことも要因の一つだろう。
http://www.biwa.ne.jp/~tam/sansaku/report/25%20keikan/keikan.html
確かに電線がないヨーロッパの街はスッキリしており、街並みや空を感じることができる。
ヨーロッパでは大都市だけなく、田舎街に行っても電柱や電線を見ないという。全て地中に埋められているのだ。
ヨーロパでは昔から市民レベルで街の景観を守るという意識が強いのである。
安全問題
そしてもう一つは安全問題の側面である。地震や台風が多い日本では、台風の強風で電線が切れたり、地震により電柱が倒れたりする。
その都度復旧に時間がかかり、また倒れた電柱や、切れた電線により救助活動が遅れたり、事故が発生したりなど二次災害が起こる可能性もあるのだ。

地震で倒れた電柱
http://archives.mag2.com/201503161700000001651266000.html
阪神淡路大震災などでも倒れた電柱によって、救助活動が遅れてしまったこともある。
しかし地震などの大災害では地中化よりも電柱の方が復旧が早いという指摘もある。
なぜ進まないのか?
なぜ地中化、無電柱化が進まないのか?日本人の意識の問題と費用の問題があるだろう。
日本は戦後の復興と高度経済成長と同時に電柱、電線も広がった。そこには守る景観よりも発展する象徴として電柱や電線があったのだ。
また、すでに立っている電柱を地中化すには電柱一本につき300万ほどかかるのだ。どこからそのお金をだすのか?そのことも問題である。
電線は美しい?
前置きが長くなったここからが本題である。空に伸びる電線は美しい側面もあると言いたいのだ。
http://www.kushima.org/is/?p=34052
こちらの絵は2014年に発足された「~上を向いて歩こう~無電柱化民間プロジェクト」が出したキュービジュアルイメージだ。
2020年の東京オリンピックに向けて、景観と安全面から電柱と電線をなくそうという取り組だ。
葛飾北斎の浮世絵に電線が描かれている。電線と電柱が景観を壊すということを伝える為のイメージであった。
しかしこれが逆に「美しい!」「これはこれであり」と話題になったのだ。現代アートだと勘違いする人も現れたのである。
電線がある風景は懐かしい?
美しさと同時にもはや日本の風景に馴染んでしまっている。電線というのは鬱陶しくて、外国の景色と比べて、なんで日本は、なんて思う事もあるけれど、それはそれで、ないと寂しいと思う気がするのは、年を重ねたからなのかなんなのか。 pic.twitter.com/uN8dVcmnPR— yuichi oki 沖祐市 (@skakeyboard2) 2016年9月11日
電柱と電線、そして広告など無意識はせずとも日本の風景に溶け込んでいるのである。電線や電柱がある風景はどこか味や情緒を感じるのは自分だけであろうか?
夕焼け空と電線。和風とかじゃないけど、こういう風景が日本的で自分は好き。 pic.twitter.com/bi3IPMqgj9— まなしな (@soundwave0628) 2016年9月10日
電線のある空の写真を撮る
https://www.syncle.me/topic/3468今ではスマホでもきれいな写真が撮れる様になった。
そのとき空の写真を撮る人も多いいはずだ、そのときただ空を撮るのではなく思わず電線や電柱を入れて撮りたくなってしまうのは自分だけではないはずだ。
近くの電線と遠くの空の遠近感、空と電線のコントラスト、大きな空に一本の線が伸びる様子は美しいのである。
夕焼けにコントラストのある電線がのびる様子。美しいのだ
まとめ
安全性ということを考えれば改善は必要であろうが。しかし電線が創りだす風景も美しいと思うのである。
安全性という言うことだけを言うならヨーロッパの街並みもコンクリート造などに建て替えるべきなのである。
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有名建築家が設計したJRの京都駅がある。この場所で写真をとる外国人は皆無だという。しかし渋谷のスクランブル交差点で絶える事なく外国人が写真をとっているのである。
美しさや芸術性を求めたものが見向きもされず、偶然生み出されたものが注目されるのはなんとも皮肉でもあるが現実である。
そして電線もまた同じなのである安全性や利便性は考慮しなくてはいけないが、
電線や電柱にある美にも目を向けなくてはいけないだろう。
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