構成力や繊密な描写はもちろんのこと、青を大胆かつ繊細に扱うことでも知られその青は「広重ブルー」と呼ばれた。
歌川 広重
https://ja.wikipedia.org/wiki/
寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)は、江戸時代末期に活躍した浮世絵師。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。
風景画を得意とし、日本全国津々浦々の名所をまわり作品化した。そのシリーズものは気軽に旅を楽しめなかった時代に人気を博した。ゴッホやモネなどの海外の画家にも影響を与えた。
代表作に『東海道五十三次』、『六十余州名所図会』、『江戸名所百景』などがある。
世界を魅了した広重ブルー
広重の作品の特徴の一つが広重ブルーと言われる青の美しさである。当時ベロ藍と言われる化学染料が大量生産可能にもなり爆発的に人気となった。このベロ藍により色褪せず深い青が表現できるようになった。
葛飾北斎の富嶽三十六景、こちらの作品にもベロ藍が使われている。
広重以外の浮世絵師もこのベロ藍の青を使い大ブームとなった。そのなかでも広重の青の使い方は頭一つ抜き出た美しさなのだ。
広重は時には大単に、時には繊細に青を使う。空や海、植物、物などあらゆるものに青を使う。青のグラデーションで描かれる風景は美しいのである。
名所江戸百景 日本橋雪晴
http://heritager.com/?p=29355
当時の日本橋と魚河岸の活気ある様子を描いた作品である。奥には富士山と江戸城も見て取れる。時期は正月のころだと言う。
また当時は幕府の施設は取り締まりを恐れて描かないことが多かったが、この作品では描かれている。
川の深さが青のグラデーションで表現されており美しいのである。
名所江戸百景 神田紺屋町
http://yogimessage.seesaa.net/article/181901998.html
同じ職種に属する職人たちは一ヶ所に固まって住み、その職種を町名にした。それが紺屋である。こちらは染物の町・神田紺屋町の風景を描いた作品である。この染め物は検品され幕府に納品され、軍旗や戦装束などに使われた、
この作品では風景ではなく、その織染め物に青が使われている。当時の染め物の技術の高さと色の良さが伝わってくる。
源氏車や市松模様の浴衣地とともに、画面中央には広重や版元などの名前もさりげなく描かれている。
東海道五拾三次之内 沼津
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東海道五十三次シリーズの1枚である。12番目の宿の沼津を描いたものだ。夕闇の中に浮かぶ月と歩く旅人の姿が描かれている。川と夜空がベロ藍によって描かれ、夜空の深まりゆく空気感と奥行きを感じさせてくれる。
その他の名作
その他の広重の名作を幾つか紹介しよう。
広重の代表作と言えば「東海道五十三次」であろう。江戸時代に整備された五街道の一つであるのが東海道。その道中にある53の宿場、それを東海道五十三次と言う。
東海道の53の宿場の人の行き交う様子を描いたのが広重の「東海道五十三次」。53枚のシリーズだと思われがちであるが、実は出発の江戸とゴールの京都を合わせて55枚のシリーズである。
東海道五十三次
http://culgeo.i-portal.mie-u.ac.jp 庄野広重の代表作と言えば「東海道五十三次」であろう。江戸時代に整備された五街道の一つであるのが東海道。その道中にある53の宿場、それを東海道五十三次と言う。
東海道の53の宿場の人の行き交う様子を描いたのが広重の「東海道五十三次」。53枚のシリーズだと思われがちであるが、実は出発の江戸とゴールの京都を合わせて55枚のシリーズである。
日本橋
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こちらが55作品の最初の出発点である日本橋の風景を描いた作品だ。
現在でも日本の地理の起点であるが、当時からも象徴的な場所であったのだろう。
早朝の時間を描いた作品であり、奥には明るくなる空が見えるのである。また橋を渡る集団は参勤交代の大名行列だ。
大はしあたけの夕立
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雨が降る様子を描いた有名な作品である。全118作品からなる名所江戸百景の一つである。広重晩年の作品である。
人々が急ぐ様子や夕立の激しさが伝わってくる。角度と濃さの違う2種類の線で雨が表されており、雨の激しさを表現している。。
まとめ
世界的にも有名で海外の画家にも影響を与えた広重である。その魅力的で大胆な構図と深い青が世界を魅了したのだ。
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印象派で知られるモネやゴッホが彼の作品のファンであった。その青は広重のブルーだけではなく日本の青とも言われるほどになった。浮世絵と同時に日本の美しさも広めたのだ。
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記事協力:ネット美術館「アートまとめん」 http://artmatome.com/
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