日本古来の在来牛は日本に2種しか残っていない。見島牛と口之島牛である。その一つの見島牛は山口県で飼育されているのである。
日本古来の牛?在来牛、見島牛とは?
見島牛とは日本古来の牛で西洋の牛との交配が一切されていない牛である。現在の和牛と言われている牛は、在来牛と外国種との交配で誕生したものだ。しかし見島牛は外国種との交配を一切していない牛だ。
日本古来の在来牛であり、役牛である。
萩市にある離島、見島
http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=900033そんな牛が飼育されているのは山口県萩市にある見島という島である。
萩市の沖合45kmにある離島だ。萩市にある7つの島の中で最も沖合にある島だ。この地理的要因が在来牛を現代までにのこした理由の一つであろう。
現在の人口1000人ほどの島である。県の北部にある島だが対馬暖流の影響で暖かい気候だという。
瀬戸内海より暖かく海ではサンゴなども見ることができる。
そんな島で飼育されているのが見島牛であるが、第二次世界大戦以前は600頭ほどいたが数を減らし一時は30頭前後にまで減少した。
しかし現在では約100頭までに増えて飼育されている。
また国の天然記念物に指定されている。
食べ物ではない役牛
牛と言えばまず「美味しいの?」「値段は?」など食べ物としてのイメージであろう。しかし見島牛などの牛は役牛と言って農業の手伝いをする牛であるのだ。http://www.nrs.pref.yamaguchi.lg.jp/hp_open/a17606/00000001/misimausi.html
日本人が牛を食べ始めたのは明治以降の事である。
明治以降に西洋の文化か入って来た時に食肉の文化も入ってきた。それまでは牛は食べ物ではなく共に仕事をする仲間であったのだ。
水田を耕すには牛の力が必要であったのだ。
今、韓国には犬を食べる文化があるなどと聞くと「あり得ない、犬は食べ物じゃない」と思ってしまうが、江戸時代の日本人が今の日本人が牛肉を食べている姿を見ると同じような事を思うかもしれない。
食べ物の事を思いついたあなたは、西洋の価値観に洗脳されている証拠である。
度胸試しだった牛肉
ちなみにであるが明治当初、牛を食べるやつはクレイジーな奴という印象であった。今でいう罰ゲームや度胸試しで食べさせられる。そんな感じであったという。
だけどやっぱり食べてみたい見島牛
しかしそんなことを言っても食べる機会があれば食べたくになるのが、今の日本人である。天然記念物である見島牛を食べることはできるのであろうか?食べる機会はゼロではない。しかし幻の肉とも言われ簡単に食べる事はできない様だ。その肉は非常に高品質な霜降り肉であると言われている。
果たして見島牛を食べることはできるのか?別記事で検証したい。
東京でも見れる見島牛
http://watch-zoo.blog.jp/山口県でも見島に行かないと見ることができないが、実は東京都内で見島牛が見れる場所があるのだ。
それがみなさんご存知の上野動物園である。上野動物園園内の子供動物園内にいる。
動物と触れ合えるエリアだ。名前は初春君という名前がつけられている。またもう一匹いる白い模様があるのは同じく在来牛の口之島牛の桜ちゃんがいる
まとめ
日本の農耕の歴史と共に生き、日本人のパートナーとなった牛であるが、明治の食肉文化の流入と農業の機械化によってその数を減らしていった。共に仕事する仲間であった牛が今は食べ物としか見られない現状は少し悲しい気もする…
食べることに反対ではない、しかし見島牛の本来の役割人や歴史を知ることで、より貴重さを知り感謝が生まれはずである。
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