巨人が歩いている?実はこれは鉄塔であるのだ。あるコンペにおいて提案された、鉄塔を巨人が歩いているようなデザインにするという案である。
いつもの風景の中にデザインを加えることにより、日常が少し豊かなになるかもしれない。
しかしデザインは心や精神の栄養剤的なものであるはずだ。構造や機能的に必要はなくても無機質なものが側にあり余あるよりはいいはずだ。
デザインによって世の中を豊かにすることは、多くの建築家やクリエイターがデザイナーが目指すべきところかもしれない。
特に鉄塔はなどは機能や構造が優先でデザインの要素は不必要だと思われている。それは景色の中に突然あらわれる鉄の塊で、時に景観を破壊することにもつながるものだ。
そんな鉄塔にデザインの要素を加えると、日常が少し豊かになるかもしれない。
まるで巨人が歩いているような鉄塔をデザインしたのだ。もちろん鉄塔としての構造や、安全性を十分に考えられ設計している。
参照元: http://www.demilked.com/icelandic-architects-turned-boring-electricity-pylons-into-majestic-human-shaped-statues/
いつもの風景の中にデザインを加えることにより、日常が少し豊かなになるかもしれない。
巨人のよう鉄塔?日常にデザインを加える
デザインやアートはその必要性が理解されにくい一面がある。なくても生きていけるものであるからだ。デザインは後回しにされがちだ。しかしデザインは心や精神の栄養剤的なものであるはずだ。構造や機能的に必要はなくても無機質なものが側にあり余あるよりはいいはずだ。
デザインによって世の中を豊かにすることは、多くの建築家やクリエイターがデザイナーが目指すべきところかもしれない。
特に鉄塔はなどは機能や構造が優先でデザインの要素は不必要だと思われている。それは景色の中に突然あらわれる鉄の塊で、時に景観を破壊することにもつながるものだ。
そんな鉄塔にデザインの要素を加えると、日常が少し豊かになるかもしれない。
巨人が歩くような鉄塔
デザインしたのはアメリカの建築家集団Choi+Shine。アイスランドで行われた「高圧送電線のデザインコンペ」において入賞を果たした作品である。まるで巨人が歩いているような鉄塔をデザインしたのだ。もちろん鉄塔としての構造や、安全性を十分に考えられ設計している。
構造の安全性は損なうことなく、わずかな変化を加えることでこのようなデザインを実現できると言う。
またBSAの『Unbuilt Architecture』(直訳 建たない建築)コンペティションからも賞を受賞している。
鉄塔がなくても殺風景な場所であるがそこに鉄塔がたてば、さらに殺風景になるだろう。
しかしそこにデザインの要素を加えることで、シュールだが面白い風景へと変わったのである。
参照元: http://www.demilked.com/icelandic-architects-turned-boring-electricity-pylons-into-majestic-human-shaped-statues/
スポンサーリンク
スポンサーリンク