以前、このブログで以下のような記事を書いた。
ミライノシテン: 「日常」の中に潜む「芸術」
僕は、芸術やアートといったものは、
何気ない日常の中にあったものを普段の時間に追われた生活によって見失っていってしまったことを気付かせるもの
であるのだろうなと思っている。
もちろんこれが芸術やアートの全てではないだろうが、アートの制作をする上では大事な要素であることなのではないだろうか。
どこかの詩人が、このようなことを言っていたような気がする。
「詩人の仕事はみんなが思っているけど言葉にできなかったおもいを詩にすることだ。」
日常の中にあった忘れがちな、見落としがちな価値を拾い上げていくようなことは、創作を行う者みんなが共通する課題なのだろう。
「芸術家集団 Chim↑Pom(チンポム)」は、そういった意味では上記にピッタリ当てはまる芸術家だといえると思う。
彼らの作品も、駆け足で過ぎていく時間によって忘れられていく価値を再発見させるものだ。
しかしながら彼らの作品が人々に気付かせるものは、少しばかり過激なものとなっている。
ERIGERO
メンバーのエリィにピンクの液体を一気飲みさせ、ピンクのゲロを吐かせるというもの。
ヒロシマの空をピカッとさせる
原爆ドーム上空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を書くもの。
ブラック・オブ・デス
カラスが仲間を呼ぶ鳴き声を録音し、剥製と拡張期を使って東京のいたるところの空に大量のカラスを集めるというもの。渋谷や国会議事堂などをターゲットに行われた。
スーパーラット
渋谷にいる鼠を捕まえて本物のピカチュウを作るというもの。
LEVEL7 feat.明日の神話
渋谷の巨大壁画「明日への神話」という岡本太郎の作品の右隅に、福島第一原発の絵を同じタッチで描き付け足したもの。
どんなことであれ、そうなると思うのだが、
特に芸術はその時代の背景を色濃く反映するものだと思う。
ピカソは20世紀の半ば、スペインの内戦で空爆をうけた町ゲルニカの悲惨な姿を、絵にしたこと、
岡本太郎の太陽の塔、
アンディ・ウォーホルの行う活動もそうだった。
Chim↑Pomもまた、現代の社会の現状を色濃く表した芸術活動を行っているといえるだろう。
過激なパフォーマンスともとれる彼らの活動は、
日常の中で忘れ去られてしまった「危機感」や
見えなくなってしまった「過去の記憶」
のようなものを再発見させるようなメッセージが込められているように感じ取れる。
あまりに過激で、しかも表現の場を都市の中でゲリラ的に行うことが多いため、彼らの活動に対しては批判的な人もいる。
また、一方で活動の意味を読み取ることができる人は、肯定的にとって深読みする人もいるといった賛否両論の状態だ。
僕としては、彼らの活動を否定するとか肯定するとか、
好きだとか嫌いだとか、
そういった評価をするというよりは、
何か新聞やテレビのニュースを見ているようなドライな感覚
で読んでみることが、一つの見方としていいのではないかと思う。
これは何故かというと、
Chim↑Pomの活動の背景には何か現代の社会背景があり、
どこかでそれをパフォーマンスや表現に取り入れているからである。
だから、彼らの活動はメディアの一種のようであり、
悪いニュースを知らせる危険信号でもある。
しかし、彼らはこれを芸術・アートと呼ぶが、本当にこれを芸術とするのだろうか。
最近、あるいはこれからは、彼らのようなアーティストは増えてくるだろうと思う。
もしこうした活動を行う人たちがみんなアーティストや芸術家というのは、少し違うような気がする。
彼らの活動を言い表す言葉は、まだ現代では見つかっていないだけで、近い将来はそうした人たちのことをひとくくりにする言葉が、また出てくる気もする。
そういえば昨日丁度、集団的自衛権が容認されてしまったばかりだが、Chim↑Pomのみなさんはこの社会を背景にまた何かしでかしてくれるのだろうか。
Chim↑Pomの活動をこれからも楽しみにしたい。
S.S
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