「日常」の中に潜む「芸術」。クリスト&ジャンヌ=クロードの世界【Art】





「クリスト&ジャンヌ=クロード」というアーティストをご存知だろうか。
クリスト&ジャンヌ=クロードは夫婦で活動を行うアーティストで、来日して活動を行ったこともあるので、ご存知の方も多いと思う。
僕の好きなアーティストだ。

彼らの作品については、説明をするよりも見てもらった方が早い。













ご覧の通り彼らの作品は、日常のありふれた風景をあるテクスチャーで包み込むような操作を行っている。
これにより、都市の風景や自然の風景などを、鑑賞者に対して再認識させるような感覚だろうか。今まで当たり前だと思っていた建物や風景が、輪郭を暈しながらマスクをしたかのように私たちの目の前に現れる感覚は、実際に見てみたいものだ。



彼らの作品を見ると、普段から見ていた物が違って見えてくる。そういったある種の後遺症のようなものも、彼らの作品なのだろうか。







見ての通り建設中の足場だが、こうしたものも見方によっては美しいのかもしれない。



アートを体験することで、「日常が変わるとか、日常の中にアートが潜んでいるのかもしれない。」といった感覚を与えてくれるものは、アート・芸術として素晴らしいものだと思う。











3年ほど前だろうか。
アーティストの山城大督さんの講義を聴く機会があった。
そのときに紹介していただいた作品が、
「吉島・ピアノ・レッスン・コンサート」だった。


子供たちが自宅でピアノレッスンをしている光景というか風景というか、その住宅からピアノの音が漏れてくる場面を思い浮かべてほしい。
そうした体験をしたことがある人は多いと思う。

山城氏の作品は、その音の風景をある地域全体にコンサートのように奏でるものである。









その仕掛けを明かすと、ある範囲の地域で、自宅でピアノレッスンが出来る環境にある家で、実際にピアノを習っている子供と教えている親御さんが、同時刻に同じピアノ曲のレッスンを開始するというものだ。
そうすると何が起こるのかというと、まち中を歩いていると住宅からピアノの音が漏れてくるのが聴こえ、遠ざかると聴こえなくなり他の家に近付くと再び聴こえてくる。
普段の日常の中にあったピアノレッスンの音を同時に響かせるという仕掛けを組むだけで、町の中に共通の音が響き渡り、不思議な一体感、共有性、共通項のようなものが現れる。


日常のささやかな要素に気がつき、仕掛けを作ることで、非日常的な体験を生み出し、日常を再び見つめ直す。

こういうアートがあるのか、と感動した。





僕が住む住宅街では、ピアノを習っている子供が多いのか、ときどき家からピアノレッスンしている音が聴こえてくる。
そんなとき、僕は毎回イヤホンを外しては、覚束ないピアノの音に聴き入るようになった。

S.S
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