パウル・クレー、音も絵画にする?見えないものを描く画家【art】

音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】

見えないものを描く画家、パウル・クレー

パウル・クレー(1879年12月18日 - 1940年6月29日)ドイツ出身でスイスを中心に活動した画家で美術理論家。
音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】

ワシリー・カンディンスキーらとともに青騎士グループを結成し、建築でも有名なバウハウスでも教鞭をとった。その作風は表現主義、超現実主義など派閥や主義にはどこにも属さず、絵と自分自身に向き合った。 

「芸術の役割は見えるものを表現することではなく、芸術は見えないものを見えるようにする」 

という言葉を残したクレーは絵画の常識にとらわれず、新聞紙、厚紙、布、ガーゼなどさまざまなものに油彩、水彩、テンペラ、糊絵具など多くの事を試みた。また音楽を絵で表現すると言った事にも挑戦いした。

初期は暗い絵画? 

1898年からクレーはミュンヘンの美術学校に入学し絵画を学んだ、そこでは象徴主義を学んだ。しかし学校の教育はクレーには合わず1年で退学してしまった。

その後イタリアを旅行しルネサンスやバロックの絵画や建築を見て影響を受けた。 1906年にはリリー・シュトゥンプフと結婚し、ミュンヘンで結婚生活を始めた。その翌年には息子が誕生している。

1910年頃にはカンディンスキー、マルクらと知り合った。マルクは親友ともに青騎士グループを結成し、「青騎士」展にも第2回展から参加した。

作品「窓辺でドローイングをする人(自画像)」1910 

音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】窓辺でドローイングをする人(自画像)
その頃の作品である自画像だ。色彩があまりない水彩画などが多かった。

転機となったチュニジア旅行 

クレーにとって転機となったのが1914年からのチュニジア旅行であった。この旅以降クレーは色彩に目覚め鮮やかな作品に変わっていった。

その旅でこんなこ言葉を残している。
「色彩は、私を永遠に捉えたのだ」 


その後第一次せ世界対戦や、第二次世世界対戦も毛県下。第二次世界大戦中のナチス政権下では前衛芸術が弾圧にあい、スイスに亡命した。。その2年後に難病である皮膚硬化症を発症などもし、創作活動が困難になるも晩年は復調し最後まで創作を続けた。

 作品 「ドゥルカマウラ島」1938 

音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】ドゥルカマウラ島
タイトルのドゥルカマウラ島はクレーの考えた空想上の島で、ラテン語の「甘い」と「苦い」を組み合わせた造語。同じ名前の毒を持った果実がヨーロッパには存在している。

別名で「眠り草の島」と訳される場合もある。 ゆるキャラのような可愛いキャラクターが描かれていいるようにも見えるが? 実はこの作品には生と死が描かれている。

左右に長く伸びるい黒い線は蛇だと言われており、。蛇はアダムとイヴをそそのかした存在だ。人生には甘いことだけはない事を暗示しているようだ。

作品 「海辺の家々」1920 

音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】海辺の家々
クレーがバウハウスの教授となった1920年に作られた作品だ。色鮮やかない描かれている。


音を絵にした 

パウル・クレーは小さい頃から音楽触れる機会があった。父親は音楽教師で、母親も声楽を学ぶ音楽一家であった。幼い頃からクレー自身もヴァイオリンを引き、その腕はプロ並みだったという。

音楽に対しての教養や知識も深いものがあったと言われている。 そんなクレーは音楽と美術の関係を探求し、音楽を絵にするというよう試みも探求している。

音楽を絵で表現することができるのか?音楽の楽譜は音楽を図で表したものだとも言える。
横線に時間軸、縦線に音程を表現するものだ。
それを考えればその試みは可能なのかもしれない。

時間の変化をグラデーションに 

クレーは音楽における時間の変化を色のグラデーションで表現したと言われている。また音の響きを色の重なりで表現したと言われている。 

作品 「襲われた場所」1922 

音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】襲われた場所
美しいグラデーションが描かれているが、それが時間変化と音の変化を表しているのではと言われている。

中央には指揮者のような人物が描かれており、周辺のモチーフ?記号?はオケーストラを表現している言われている。

普通絵画には描かれない矢印のようなものが描かれている。 この作品はクレーの中でも特別な作品であり。

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自身で「特別クラス」と評価し生涯自分の元に置いた。  

作品「ホフマン風メルヘンの情景」1921 

音も絵画にする?見えないものを描く画家「パウル・クレー」【art】 ホフマン風メルヘンの情景
この作品はオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」から構想を得たと言われている。オペラの舞台の様子が線画で描かれている。

そして音の響の重なりが背景の色の重なりで表されている。 1903年にできた市立劇場でこのオペラを見たと言われている。

まとめ

クレーは純粋に絵が好きだったのではないだろうか?派や主義が嫌いだったのでは全部が好きで興味があったのではと思われる。

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自身の興味をある事を絵画で表現するには?そんな事を追求したのだろう。
参照元:
http://style.nikkei.com/article/DGXBZO30030380Y1A600C1000000?channel=DF130120166059&style=1
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