ミレー、素朴を描いた画家。農家の姿の中に神を見た。【a】

その姿の中に神を見た。農家の姿をありのままに描いた、画家ミレー
農民の姿を描いた作品で有名な19世紀のフランス人画家ミレー。

彼はただ様子を描いたわけではなかったのだろう。人々の営みの中に祈りと、神を見たのではないだろうか?

素朴な農民の姿を描いた、ミレーとは?

ミレー ジャン=フランソワ・ミレー(1814年 - 1875年)は、19世紀のフランスの画家。

バルビゾンというフランスの田舎に住み、その風景や農民たちを描き続けた画家

自然主義、写実主義の画家である。この時代バルビゾンやその周辺に住みそのありのままの風景描く画家が多く、のちの「バルビゾン派」と呼ばれるようにもなった。


宗教画と裸婦画のミレー

ミレーがはじめに評価されたのは裸婦画や宗教画であった。

決して明るくはない、どちらかと言えば暗い雰囲気も感じさせるのがミレーの作品であるが、初期の作品は色彩豊かで明るい作品であり「華やかな」手法と評された。

その姿の中に神を見た。農家の姿をありのままに描いた、画家ミレー
初期の神話画

しかし次第にその作風は変化していく。 

こんなエピソードがある。
まだ生活が安定せずにお金のために裸婦画多く描いていた頃。

パリの街を歩いていると自分の裸婦画が売られていた。そして2人の男がその絵を見ていた。

ミレーはその男たちに誰がこの絵を描いたんだ?と尋ねた。
すると男たちは
 「ミレーって言ういつも女の裸ばっかり描いてる脳のないやつさ」  

と言われた、、、それ以降、裸婦画を描くのをやめた。 

1849年にパリでコレラの流行が起こったのをきっかけにバルビゾンに移住。その時には政府からの以来などもあり経済的に安定し、農民画に専念することができるようになった。

素朴な姿をありのまま描いた

写実主義は19世紀に半ばに現実を美化せずに描くと言う美術史上の試みである。ミレーもフランスのバルビゾン村に定住し風景や農民の様子をありのままに描いた

ミレーは自身も農業をしながら絵を描いた。

 作品 種まく人 1850年  

その姿の中に神を見た。農家の姿をありのままに描いた、画家ミレー 種まく人
たくましい農夫を描いた作品。

農村の人々を描き続けたミレーの「落穂拾い」「晩鐘」に並ぶ代表作。
「種を蒔く」=「神の言葉を広めるキリスト」をイメージして描いたといわれている。

素朴な農民たちを描くことが多かったが、本作では力強く逞しい姿が描かれている。種を播くという生きる営みの中に、生命力を表現しようとしたのかもしれない。

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ミレーの特徴として他の写実主義や自然主義の画家と違い風景をメインではなく、人をメインに描いたのである。 

農民の様子や風景を脚色することなくありのままに描いているのである。だからこそどこか暗く寂しい雰囲気も感じさせる絵が多いのかもしれない。 



作品 晩鐘 1857年 - 1859年


夕暮れになる鐘の音とともに農作業中断し祈る農民の姿が描かれている。
信仰とはなにであるのか?それは神の絵の中ではなく“人々の生活の中にある”そんな事を思ったのではないだろうか?



作品 落穂拾い 1857年 

その姿の中に神を見た。農家の姿をありのままに描いた、画家ミレー 『落穂拾い』
収穫を終えた後の畑に落ちた麦の穂を、女性たちが拾い集めている様子を描いた。

当時の批評家たちには貧困を誇張していると酷評された。しかし、この絵は単純な貧困農民の絵というだけでなく、旧約聖書の「ルツ記」に基づいた作品であり、農村社会の助け合いを描いた作品である。

作品 鍬に寄りかかる人 1863年

農民にとって重労働の鍬で畑を耕し、雑草を除去する作業中に鍬によりかかって休む男の姿を描いた。

当時のフランスは農民を低くみる社会であり、この絵も地味だと言われ評価されなかった。しかしミレーは「額に汗し、泥にまみれ、大地で働く姿を描くことこそ人間の尊厳を表すものだ」と言い将来そのスタイルを貫いた。

作品 羊飼いの少女 1864年

羊の群の横で編み物に夢中になる少女を描いた作品だ。
ミレーは他にも「眠った子の傍らで編物する女」、「がちょう番の少女」など、編み物をする女性をモチーフとした作品を描いている。

まとめ

ミレーの絵画に豪華さはなく、色彩豊かでもない。一見地味にも見える絵画だ。しかしそれは商業的になることをせずに真摯に絵画と農民に向き合った結果であるだろう。



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ミレーの絵を見ると信仰とは?を考えさせられる。
宗教画を描かなかったミレーは神を信じなくなり、信仰をやめたのではない。

「神が尊いのではない祈る姿が尊いのだ」そう言われている気がする。
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