人間もゴミも同じ?風葬を行う民族の世界観とは?【Thought】

人は死とは何かを考える。生きることに意味はあるのか?死とはなにか? 宗教を作り、祈り、そして埋葬する。

埋葬方法と世界観

埋葬の方法を見るとその民族や部族が死をどう捉えているのかがわかる。 例えば古代エジプトでは死を終わりではなく、また復活するものと考え死体を燃やすことなく、魂が戻る時のことを考えてミイラにした。 

仏教は火葬が主流であり、それは釈迦が火葬されたことにちなんでいる。 埋葬方法と世界観にはつながりがあるのだ。その中でも『風葬』という特に変わった風習を持つ民族がいるのだ。

彼らが死をどのようにとえているのか?そしてそこから死とはなにかを考えよう。

風葬とは?

風葬とは遺体を土に埋めることや燃やすことなく、風にさらし風化をさせる埋葬方法だ。東南アジア、北アメリカ、オーストラリアなどにも風葬が見られるという。一見残酷な埋葬方法ににも見えるが、その民族にとって神聖な場所に置くなどただ放置をするというわけではなく、意味が存在するのである。

日本でもかつて沖縄、奄美などで行われていた。沖縄などの離島では火葬する施設や、埋める土地がないといった地理的な要因があったと考えられている。

そして現在も世界にはまだいくつか風葬を行う地域が存在する。その一つがインドネシアのバリ島に存在する、トルニャン村という場所だ。バリアガ(バリ島の先住民)が住む場所だ。

こちらが風葬の様子である


完全に野ざらしと言うわけではなく、カゴで囲い、布を多少なりかぶせている。そして側には生前愛用していた道具などが置かれる。このカゴの中に死体があるのだ。

しかし不思議と匂いはないのだと言う。この死体の上には大きな木がある。タルムニャンと呼ばれる香木で、この木が死臭を消してくれるのだ。

ゴミか?死体か?地球に還るものか?

この遺体の側にはペットボトルなどの一見ただのゴミと思われるものが置かれている。しかし彼らにはゴミという概念がないのだ。

死体も私たちがゴミと呼ぶものも同じ地球から生まれた物で、同じように地球に還っていくものなのだ。

ゴミも、死体も存在しない。そこにあるのは地球から生まれ、地球に還っていくものだけだ 

骨がたくさん並べてある。風化していく様子を見ることにより死を受け入れることができるのだ、と彼らは言う。

急ぐ日本の葬式?

風葬はゆっくりと死をうけ入れていくことに繋がるという。一方で日本の葬式は忙しすぎるのではないか?

亡くなった翌日にお通夜、その翌日には告別式、火葬へと繋がる。そして翌日にはいつもの日常に戻るのである。

日本の葬式は何を急いであろうか?それはまるで回転率を大事にする飲食店のようである。

繋がりが見えなくなった日本社会

そしてまた人の繋がり、自然の繋がり、命の繋がりも今の日本では見えにくい。

現在の日本の埋葬方法である火葬であるが、それは明治時代になって一般になった。そこには宗教的な意味はなく、土地の問題と衛生的問題から火葬が選ばれた。

ちなみに神道は火葬である。古墳も古代の皇族のお墓であり大きな土葬だ。今でもの皇族は土葬である。


つまり今の火葬は効率、経済性を優先したのだ。

風葬は一見残酷に見えるかもしれない。しかしそこには地球の繋がりが見えるのである。死体が腐り、虫がわき、土に還って行く。


地球の一部であること、循環し巡る存在である事を思い出させてくれる。
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