実は悲しく、さみしい。詩人金子みすゞの詩の世界【Person】

山口県の出身の童謡詩人金子みすず。上戸彩を主演にドラマ化もされ全国的にも知られている。

この金子みすゞと詩についてどんな印象を持っているであろうか?純粋で子供の心を持っている、読めば優しい気持ちになれる。そんな印象だろう

しかし、みすゞの詩には自身の深い悲しさや、さみしさが込められているのだ。
http://ameblo.jp/kitto-kanau7/theme-10058778052.html
 
私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速く走れない。

  私が体をゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。

みすゞの「私と小鳥と鈴と」という詩だ。みすゞの詩の中で有名な詩の一つだ。

互いの個性を認め、尊重できる世界。そんな優しい世界のイメージが伝わってくる。
しかしこの詩にはみすゞの悲しさ、さみしさが込めれているのだ。

金子みすず


https://ja.wikipedia.org/wiki/
1903年~1930年。山口県の大津郡仙崎村に生まれる。現在の長門市。
大正期~昭和初期にかけて活躍した童謡詩人。

ドラマ化もいくつもされ。東日本震災時のACジャパンのCM「こだまでしょうか」でも注目された。

理論のみすゞ

「子供の様な純粋な感性を持っている人」、詩を読めばそんなイメージが伝わってくる。

しかし実は頭がよく理論的な人物なのだ。
子供頃から成績がよく常に学校で12番であり、いつも面白い話をして大人を驚かせていた。

こんなエピソードがある。
みすゞが友達の家に遊びに行った時の話である。こんな事を言った。



みすゞ「ハエがいるでしょう。ハエはね、ハエたたきでこうするとにげるでしょ。おじさんあれは何で逃げるか知ってる?

おじさん「それは追うからハエさんも怖がって逃げるんだよ」

みすゞ「そうじゃないそれはハエたたきを振り上げたときに、すうっと風がふくからそれで逃げるのよ」
とみすずは答えた。

感覚ではなく論理的な答えであるのだ。

詩の印象とはだいぶ違う。
おじさんの答えがみすゞの詩のようである。
みすゞはこの世界で起こる現象を冷静に論理的に捉えることができたのだ。

このようにみすゞは他の人はとは違った捉え方ができる人物だったのだ。そのせいで何処か常に世間とは疎外感を持ちながら暮らしていたのだ。


詩に出会う

元から本が好きであったみすゞは、親戚がやっている本屋上山文英堂書店で働く用になる。その日々は幸せであった。そしてそこで見かけた童謡雑誌に詩の投稿を始める。

その才能はすぐに注目され、
西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるまでになった。
本屋を再現した、金子みすず記念館

現実は悲惨、詩は理想

その後山文英堂書店で出会った宮本啓喜結婚をしたが、夫は文学に理解のない人であった。

夫により詩の投稿と交流を絶たれたのだ。

夫は女癖のも悪く、失業機に暴力を振るうようにもなった。さらに夫から梅毒をうつされ体調も次第に悪くなっていく。

みすゞは夫に隠れるように詩を書いた。唯一の心よりどころとして詩があったのだ。
現実に対する逃避であった。詩の世界は理想だった。


自殺

そしてみすゞは自ら命をたった。
娘もいたが、自殺という道を選んでしまった。
みすゞはこの現実に何を感じたのであろうか?希望はなかったのか?
…もう一度詩を読み返してみよう

私と小鳥と鈴と

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面を速く走れない。

  私が体をゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
  たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。

一人一人がそのままでいい世界を願った。だが現実はそうではなかった。

みすゞにとって地面を走ることは詩を書くことであるのだろう。しかし夫はそれを認めてくれないのである。空を飛ぶことを、綺麗な音を鳴らす事を求められるのである。


同じような事は今もよくある話しだろう。
飛ぶことも、綺麗な音でなることも求められる世界なのだ。でもどんなに頑張っても飛ぶとはできない。
地面を早く走ることはできるのに、それは無駄なことだと言われるのだ。


みすゞの詩は明るい詩ではないのだ。

そこには現実や生きることへの悲しさ、さみしさが込められているのである。
みすゞの故郷、山口県仙崎



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