インターネットの世界を現実の世界に置き換えると?7枚【Art】


インターネットは私達の生活とコミュニケーションを変えた。それは便利になった一方、問題も引き起こしている。仲間内の悪ふざけや内緒話だったものをSNSに投稿し、炎上を起こしたりする。誹謗中傷や心ないコメントも多いい。

ではこれまでの生活の何が?インターネットのサービスに変わったのであろうか?

SNSの役割を現実世界に

イタリアの田舎村チヴィタカンポマラナーノは400人ほどの小さな村である。高齢者が多くインターネットには無縁の村だ。携帯電も持っていない人が多い村だ。

そんな村で今のインターネットの役割は何に置き換わるのだろうか?というインスタレーションアートが行われた。

おしゃべりーツイッター

最も気軽にできるSNSがツイッターではないだろうか。
日本では最もユザー数が多いSNSだ。気軽につぶやけるのが魅力であるが、恐ろしく炎上し批判の的にもなる。

それは人通りのある、通りのベンチで会話をするようなものである。
誰に聞かれているかわからないのである。

知識ーウィキペディア

ウィキペディアは度々批判にも合う、学校の先生から「ウキペディアの情報が正しいと思わないでください」と言われたことがないだろうか?

ウィキペディアは誰でも編集できる辞書である、個人が知識を持ち寄り作り上げていくのだ。だから時には間違った情報もあるかもしれない。

しかし知識や歴史は本来そんなものである。誰からの口伝えや記録による蓄積である。それがインターネット上に変わっただけで本来の質は変わってないのである。

村には必ず歴史に詳しいストーテラーや物知り婆さんがいたのだ。気をつけなくてはいいけないのはウィキペディアを否定することではなく、その知識の後ろには人の歴史があるということだ。

社交場ーFacebook

FacebookとTwitterは同じだと思う人もいるかもしれないが、やはり性質は違うのである。
Facebookは実名登録なため、その友達はリアルでも繋がりがある人が多い。その為Twitterより公共感が出るのである。

言いたいことを言うよりは世間体を気にし、どうでもいい報告や間接的な自慢のようになる

それは知られてもいい、知って欲しい情報を村の掲示板に張るようなものだ。それをみんなが見て、いいねボタンを押したり、コメントをしたりする。Twitterに比べ罵倒や非難はないのだ。

テレビーYou tube

You tubeはまさにテレビのあり方や、考える存在になっている。約半世紀前にテレビが登場して以降はテレビは圧倒的な宣伝力を持ち支配をしてきた。

テレビが登場した頃は一つのテレビに多くの人が集まり、みんなで鑑賞をし語り合った。

その光景が今はYou tubeのコメント欄や、ニコ動のコメント機能に変わっただけかもしれない?同じ時間や場所を共有せずとも一つの動画を共有することができるようになったのである。


手紙ーGmail

実際の手紙などもう随分出した記憶がないのである。

手紙もパソコンで出せる時代だ。
Gmailのロゴは手紙の形をしているが、近い将来その意味が伝わらない世代が現れるかもしれない。「ねえなんでGmailのロゴってなんであんな形なの?」と質問されるかもしれない。

最後に町のポストに手紙を入れたのはいつだろうか?

病気ーインターネットウイルス

今やウイルスの脅威はカラダの病気より、インタ-ネットによってうつる病気の方が深刻かもしれない。

薬が進化すればウイルスも進化する。ウイルスに感染すればあなたの情報が体の芯まで抜き取られるのである。
それは実際の病気や死よりも怖いものかもしれない。

出会いーTinder

出会いの場
出会いも今はインターネットを介してできるものである。より気軽に多くの人と出会えるものとなった。

しかし出会いの格差も生まれているだろう。

特に日本では抵抗のある人とない人に別れる。また日本には昔はお見合いという制度があったが、今はすくなくなった。自らインターネットを使ってでも行動を起こせる人はいいが、必ずしもそんな人ばかりではないのである。


まとめ

インターネットは多くの便利をうんではいるが、同時に優しさがなくなっているとも感じる。相手が見えないのだ。

想像をしてみよう、インターネットの世界の先には見えないだけで必ずリアルな相手がいるのである。

そうすると誹謗中傷や心ないコメントが多いインターネットの世界に思いやりが生まれるかもしれない。


参照元http://www.biancoshock.com/web-00.html
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